命の疑似的な永続も期待できそうにないとき、どうしたらよいのか

人間の命には限りがある。

その制約をどのようにして乗り越えるか、いろいろな方略がある。

例えば、子孫を残すこと。

また例えば、自分の著作を残して、国会図書館に納入して、しばらくは保存されるようにしておくこと。

また、会社や組織を作って、そこに自分の思いを込めて、それが永続するように願う。疑似的なDNA存続である。

いずれにしても、日本人・日本社会・日本文化が永続することが前提のように思われる。

もちろん、日本文化や日本語に限定されることのない活動をしている人もいて、その場合には、あまり心配はないのかもしれない。

しかし、現状のように、日本人はどんどん減少する、町も過疎化して、コンパクトシティなどの政策が実行されているという状況では、命の疑似的な永続も期待できそうにない。

そんな時、どうしたらよいのだろう。

ーーー

仏教的に、自我も幻であると納得して、さらりとしていられれば良いだろう。

しかしたいていの人はそうではない。

納得できないながらも、淡々と生きること以外はできそうにない。

心底納得しているわけではないが、日々のスケジュールをこなしている。

たまに純真な子供に問い詰められたりして、困る。

タイトルとURLをコピーしました