強迫性症状 たとえ話

M系細胞がダウンして、かつ、D系に比較してA系が優位になったとき、強迫性症状を呈する。

その様子をたとえ話で書いてみる。
個人の心の中には、いろいろな役割の部分がある。その中に、危機警戒に当たる「見張り役」、危機が発生したときに中和儀式で対処する「儀式役」、それらのバランスをとる「調停役」があると考えられる。

ドアノブを触ったときにヌルヌルした感じがして、これは不潔なのではないかと「見張り役」が報告する。それを受けて、手を洗う。一度洗えば済むのだが、ここで「儀式役」が登場すると、手洗いの儀式を10回くらい反復してしまう。

次にドアノブに触ったときに、「見張り役」は、「ドアノブは不潔だと予測」しているので、感度を上げて、少しの危険も見逃さないようにする。すると実際に不潔が検出される。自己成就的状況になる。わずかの危険でも報告してしまう。「儀式役」はそれを受けて、10回反復してしまう。このことから、「世界は不潔だ、10回の手洗いが必要だ」との認識が定着してしまう。

次には、ドアノブに触ってもいないのに、手が不潔かもしれないと思うようになり、「見張り役」はさらに感度を上げて、不潔を感知する。ここでも自己成就的で、「不潔である」という予測が成就するまで感度を上げる。その報告を受けて、「儀式役」は10回の中和儀式を行う。全体として、「世界は不潔だ」という世界モデルはますます堅固になる。

「世界は不潔だ」という予測が、「実際は世界はそれほど不潔ではない」という正確な観察により訂正されればよいのだが、「見張り役」は観測感度を上げているので「やっぱり世界は不潔だ」という観測となってしまい、誤差が発生しない。したがって世界モデルの修正は起こらない。誤差修正サイクルが作動しない。

ここで、「見張り役」と「儀式役」を一時的に強制停止させて、実際に悪いことが起こるかどうかを実験してみるのが暴露反応妨害法である。うまくいけば全体が落ち着く。しかし時には、「見張り役」は「あくまで不潔から守るために」抵抗を続ける。

しかしそうなると、手が荒れたり、生活の時間が窮屈になったり、会社でも手洗いをしたりして、社会生活に支障をきたすようになる。

そこで「調停役」が動き出す。
「調停役」は「見張り役」に「よく働いてくれていて、感謝している。でも、少し敏感過ぎないでしょうか」などと話しかける。
また「調停役」は「儀式役」に「不潔から守ってくれてありがとう。感謝している。でも、いつも10回でなくてもいいかもしれない。みんな疲れているから、少しだけ簡単にしてもいいかもしれない」などと話しかける。

「見張り役」が観測の敏感さを調整してゆくにつれて、全体の疲労は少なくなってゆく。疲労が少なくなると、感度調整もしやすくなるという好循環が生まれる。

「見張り役」が、世界の不潔さを現実に即して測定できるようになれば世界は丸く収まる。「見張り役」の「感度調整つまみ」を少し回すだけでよい。

薬剤はたぶん、この誤差修正サイクルには効いていない。もっと上位のレベルで効果を発揮していて、薬剤によりM系細胞が活発になり、そのことが、「見張り役」の調整に役立つので、薬剤は間接的に効いているのだと推定される。

タイトルとURLをコピーしました