第13章:文化・社会的文脈と診断・治療への影響
はじめに
精神疾患の診断や治療は、医療モデルに基づいて行われるが、実際には文化的・社会的文脈の影響を大きく受ける。統合失調症とうつ病は世界中に普遍的に見られる疾患であるが、その現れ方、周囲の理解、治療へのアクセス、さらにはレッテル貼り(スティグマ)の程度は、社会や文化によって大きく異なる。
本章では、両疾患における文化的意味づけや伝統的社会での受け入れられ方、現代における課題、そして今後の方向性について対比的に論じる。
1. 伝統的社会における統合失調症とうつ病の位置づけ
統合失調症
統合失調症にみられる幻聴や妄想といった症状は、近代精神医学では病理的体験とされるが、多くの伝統的社会においてはシャーマン的資質や宗教的啓示として肯定的に受け止められることもある。
たとえば:
- アフリカや南アメリカの部族社会では、「声を聞く者」は神や先祖から選ばれた存在として尊敬されることがある。
- 日本の古代神道や修験道においても、神のお告げを受ける巫女(みこ)や山伏が存在し、幻覚的体験が霊的能力と見なされた。
このように、症状の文化的意味づけが支援や包摂の形を決定づけていた。
うつ病
一方、うつ的な気分や活動性の低下に対しては、文化によっては「気力のなさ」「怠け」と誤解され、否定的に受け取られることも多かった。特に儒教的価値観が強い社会では、**「個より集団」「我慢や努力の美徳」**が重視され、抑うつ的な反応が社会的に抑圧されがちであった。
ただし、農耕社会などでは、一時的な無気力が「心の疲れ」や「魂の休息」として受容される側面も存在した。
2. 現代社会における文化的影響
統合失調症
現代においては、統合失調症は依然としてスティグマが強く、診断されることで就労や人間関係に不利益が生じやすい。特に日本では、「統合失調症」の名称自体が長らく「精神分裂病」と呼ばれていた歴史もあり、社会的誤解と偏見が根強い。
一方で、欧米や北欧では**リカバリーモデル(回復志向型支援)**が進み、当事者が社会の一員として生きる支援が進んでいる。
うつ病
うつ病に関しては、啓発活動や著名人による告白などにより、社会的理解は広がりつつある。ただし、「現代病」としてのイメージが先行し、「軽いうつ」や「甘え」として矮小化される危険性もある。
また、グローバル化によって西洋的診断枠組みが輸入されたことで、文化的な悲哀や喪失体験が「うつ病」と診断されてしまう例も増えている(いわゆる「文化的病理化」)。
3. 治療への影響
文化は、治療選択や支援の受け入れにも影響を与える。
要素 | 統合失調症 | うつ病 |
---|---|---|
スティグマ | 強く根強い偏見 | 徐々に緩和傾向 |
伝統的治療 | 霊媒師、祈祷、隔離 | 薬草療法、儀式的休息 |
現代的受療行動 | 受診忌避、長期入院 | 自己判断、職場での受診勧奨 |
家族の関与 | 高度な保護的介入 | 心理的支援を通した関与 |
4. 今後の展望と提言
- 文化的多様性を尊重した精神医療が求められる(カルチュラル・フォーミュレーションの活用)
- 当事者の語りを活かすナラティブアプローチの推進
- 民俗的・宗教的解釈と近代医学との協働の可能性
- 異文化間精神医学(transcultural psychiatry)の知見の活用
参考文献
- Kleinman, A. (1980). Patients and Healers in the Context of Culture. University of California Press.
- Watters, E. (2010). Crazy Like Us: The Globalization of the American Psyche. Free Press.
- Goffman, E. (1963). Stigma: Notes on the Management of Spoiled Identity. Simon & Schuster.
- 倉光修(2017)『異文化間精神医学と文化的能力』中山書店.
- 日本精神神経学会(2002)「精神分裂病」から「統合失調症」への名称変更について.