3.単一精神病論とスペクトラム概念


3. 単一精神病論とスペクトラム概念


「単一精神病論」とは何か

「単一精神病論(Einheitspsychose)」は、19世紀のドイツ精神病理学において、すべての精神病は本質的に一つの連続体に属するとする理論である。代表的な支持者にはグルジアの精神科医グリージンガー(Wilhelm Griesinger)や、後にこの立場を包括的に展開したハインロート(J.C.A. Heinroth)らがいる。彼らは、精神病の多様な臨床像は一つの基礎病理に由来すると考え、たとえば妄想や幻覚、気分変調、行動異常といった現象は、個別疾患の反映というよりは精神機能全体の障害の異なる表現形に過ぎないと見なした。

この見解においては、「統合失調症とうつ病」も、厳密に別個の疾患単位とは考えられず、重なり合い、変化し、相互に移行するスペクトラム的連続体の中の表現型の違いにすぎないとされる。


クレペリン的分類と単一精神病論の対立

クレペリンによって「早発性痴呆」と「躁うつ病」が疾患単位として定義されたことで、単一精神病論は一時的に影を潜めた。しかし、実際の臨床では依然として両者の明確な区別は困難であることが多く、予後の予測や治療方針においても混在例が存在する。

たとえば、初発エピソードが抑うつ状態であった患者が、後に統合失調症の典型的な症状を呈することや、反対に統合失調症と診断された患者が、長期的には気分障害に近い経過をとることも少なくない。

このような現実は、再び「単一精神病論」の意義を見直す動きを生んでいる。


「非定型精神病」や「統合失調感情障害」への影響

単一精神病論の視点は、従来の分類では捉えきれなかった中間型の病像、すなわち**「非定型精神病(atypical psychosis)」や「統合失調感情障害(schizoaffective disorder)」**といった概念に理論的な裏付けを与えるものでもある。

非定型精神病は、感情障害様の急性発症と良好な予後を示しつつも、妄想や幻覚などの精神病性症状を呈するケースであり、従来のDSMやICDの診断体系では分類困難であることが多い。こうした疾患像は、明確な分類よりも、連続体として理解した方が臨床的にも対応しやすいという実感を、医師に与える。


精神病スペクトラム(Psychosis Spectrum)という枠組み

最近では、「精神病スペクトラム障害(psychosis spectrum disorders)」という用語が使われるようになり、統合失調症だけでなく、統合失調型パーソナリティ障害、一過性精神病性障害、統合失調感情障害、さらには一部のうつ病性障害までもがこの枠組みに含まれるようになってきている(van Os et al., 2009)。

このアプローチでは、明確な境界よりも脆弱性、症状の持続、社会的機能障害の程度といった連続的なパラメータに基づいて評価され、治療戦略もより個別化される。


発達障害、パーソナリティ障害との連続性

単一精神病論の延長として、現代では発達障害(特にASD)やパーソナリティ障害(特にスキゾイド、スキゾタイプ)との連続性も重視されつつある。たとえば、自閉スペクトラム症においても、統合失調症的な症状(思考の逸脱、社会的乖離)を呈することがあり、実際に誤診例や併存例も報告されている(Klin et al., 2005)。

精神病という現象そのものを、遺伝的・神経発達的な脆弱性とストレス要因の相互作用によるスペクトラムとして捉える見方は、より実際的な臨床の枠組みを与えてくれる。


臨床的意義と今後の方向性

単一精神病論やスペクトラム概念は、診断の一義性を揺るがすものの、現代の複雑な症例への対応や、個別的な治療計画の策定には不可欠な視座を与えてくれる。とくに、以下のような場面では、この考え方が大きな助けとなる:

  • 診断がはっきりしない初期症例への対応
  • 感情障害と統合失調症の症状が混在するケースの治療選択
  • 社会機能の予測とリハビリテーション計画の立案
  • 長期的な疾患経過の把握と再診断のタイミング判断

今後の診断学は、固定的分類から柔軟な経過モデル、予測モデルへと転換していく可能性が高く、スペクトラム概念はその鍵となるだろう。


参考文献(第3章)

  • Griesinger, W. (1867). Mental Pathology and Therapeutics. London: The New Sydenham Society.
  • Bleuler, E. (1911). Dementia Praecox or the Group of Schizophrenias.
  • van Os, J., Linscott, R. J., Myin-Germeys, I., Delespaul, P., & Krabbendam, L. (2009). A systematic review and meta-analysis of the psychosis continuum. Psychological Medicine, 39(2), 179–195.
  • Tsuang, M. T., Stone, W. S., & Faraone, S. V. (2000). Toward reformulating the diagnosis of schizophrenia. American Journal of Psychiatry, 157(7), 1041–1050.
  • Klin, A., Pauls, D., Schultz, R., & Volkmar, F. (2005). Three diagnostic approaches to Asperger syndrome: Implications for research. Journal of Autism and Developmental Disorders, 35(2), 221–234.
  • 松本卓也(2012)『精神病理学事典』岩崎学術出版社
  • 三村將(2022)『精神疾患のスペクトラム概念』医学書院

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