9. 精神病の継承仮説と単一精神病論
精神病の“境界”は明確か
精神病性障害、すなわち統合失調症、双極性障害、うつ病、統合失調感情障害などの間には、診断学的には異なる分類が設けられている。しかし、実際の臨床現場ではこれらの“純粋型”がむしろ例外的であり、混合的・移行的な様相を示す症例が多い。こうした臨床的実感を反映して、かつてから精神病の「連続性」や「共通素因」をめぐる議論が存在してきた。
この文脈で重要なのが、**精神病の“継承仮説(inheritance hypothesis)”および“単一精神病論(unitary psychosis theory)”**である。
クレペリンの二分論とその限界
精神病の分類の源流として、エミール・クレペリン(Emil Kraepelin)が19世紀末に提唱した**「早発性痴呆(dementia praecox)=統合失調症」と「躁うつ病(manic-depressive illness)」の二分法**が挙げられる。これは、
- 統合失調症:慢性化・不可逆的な予後
- 躁うつ病:エピソード性・可逆性をもつ良性の病
という、疾患の経過と予後に基づく分類であり、その後のICDやDSMの診断体系にも強く影響を与えてきた。
しかしこの二分法は、実際には多くの例外的症例、すなわち、
- 統合失調症でエピソード性の経過をとる例
- 双極性障害で慢性的な陰性症状様の経過をとる例
- 急性一過性精神病、統合失調感情障害、非定型精神病などの“中間領域”
といった臨床像によって、しばしば揺らいできた。
単一精神病論:エスキロールからK. シュナイダーまで
このような揺らぎを背景に、19〜20世紀初頭の精神病理学者たちは、「精神病を一つの根源的過程とみなす」立場、すなわち**単一精神病論(Einheitpsychose)**を提唱した。これは次のような考えに基づく:
- 精神病とは、一つの連続的な病理的プロセスのさまざまな表現型にすぎない
- その病因・基盤は共通であり、現れる症状の様式は個体因子(体質、性格)や社会環境によって修飾される
たとえばK. シュナイダーは、「第一次ランク症状(妄想知覚、思考伝播など)」の存在を精神病の共通指標と見なしたが、それでも症状の全体像から個別疾患を区別することの困難性を認めていた。
この理論の極端な形では、躁うつ病もうつ病も統合失調症も、根は同じ“精神病的反応様式”の変奏とされる。この見方は、精神病の本質的理解を深める一方で、実践的な診断・治療の枠組みを不明瞭にするリスクも併せ持つ。
遺伝研究と共通素因の証拠
20世紀後半からの家系研究・双生児研究・遺伝子解析は、精神病の区分的理解に再考を迫った。たとえば:
- 統合失調症と双極性障害の家族歴がしばしば重なっている
- 両者に共通して神経発達的脆弱性・前頭葉機能障害・ドーパミン系の変調がみられる
- 遺伝子研究では、CACNA1C、ZNF804A、DISC1などの共通リスク遺伝子が両疾患に関与
このようなデータは、「疾患特異性(specificity)」よりも、「疾患間連続性と共通素因」の存在を強く支持するものである(Cross-Disorder Group of the Psychiatric Genomics Consortium, 2013)。
また、統合失調症の兄弟がうつ病や双極性障害を発症するリスクは、一般人口よりも有意に高く、一部の遺伝的リスクが精神病全体に非特異的に関与していることを示唆している。
神経発達症との接続とスペクトラム論
精神病の連続体という視点は、近年の神経発達症との接続的理解にも通じている。ASDやADHDといった神経発達症もまた、
- 認知的・社会的機能の持続的障害
- 幼少期発症・遺伝的背景の強さ
- 統合失調症との家族歴の重複
といった点で、精神病との発達的・遺伝的連続体上にあることが示唆されている(Rommelse et al., 2011)。
こうした観点は、従来の「診断名に依存する精神病理学」から、「スペクトラム的・次元的な精神病理解」への転換を促している。
臨床への含意:スペクトラムの中でどう診るか
これらの知見が示すのは、精神病性障害が、複数の症候・経過・素因が絡み合う連続的現象であるという点である。そのため診断に際しては:
- 「現在の病像に基づく分類」だけでなく、
- 「その人の発達歴、家族歴、認知機能、パーソナリティ、社会的背景などの全体像」
を統合して把握する必要がある。
また、治療的には診断名よりも、
- 「どの症状(例:幻聴、抑うつ、自我障害)に介入するか」
- 「どのような機能回復をめざすか(認知リハビリ、対人関係支援)」
という観点が重視される。
参考文献(第9章)
- Kraepelin, E. (1919). Dementia Praecox and Paraphrenia. Edinburgh: Livingstone.
- Cross-Disorder Group of the Psychiatric Genomics Consortium. (2013). Genetic relationship between five psychiatric disorders estimated from genome-wide SNPs. Nature Genetics, 45(9), 984–994.
- Owen, M. J., et al. (2016). The neurodevelopmental hypothesis of schizophrenia revisited. Schizophrenia Bulletin, 42(6), 1110–1117.
- Rommelse, N. N., et al. (2011). Shared heritability of attention-deficit/hyperactivity disorder and autism spectrum disorder. European Child & Adolescent Psychiatry, 20(2), 73–87.
- Jablensky, A. (1995). The diagnostic concept of schizophrenia: its history, evolution, and future prospects. Dialogues in Clinical Neuroscience, 1(1), 29–39.