症例
患者: 35歳女性、会社員
主訴: 1年以上続く抑うつ気分、無気力、疲労感、集中力の低下、自己評価の低下、過去に経験した人間関係のトラウマからくる感情的な閉塞感、日常的な不安感。自己肯定感の低さから仕事のパフォーマンスにも影響が出ている。
経過:
患者は数年前から仕事のストレスや人間関係の問題を抱え、その後、抑うつ気分とエネルギーの低下が徐々に増加した。これにより、仕事や家庭内での役割を果たせなくなり、日常生活に支障をきたすようになった。これまでに何度か抗うつ薬を使用したが、症状は軽減したものの完全には改善せず、認知行動療法(CBT)を受けたこともあったが効果は限定的だった。再発を防ぐための治療として、ACT(アクセプタンス・コミットメント・セラピー)が提案され、治療が開始された。
ACTによる介入
- 初期評価と目標設定
- ACTの治療を開始するにあたり、最初に患者と治療目標を確認した。患者は「自分の感情に振り回されず、無気力感を克服したい」との希望を持っていた。患者はまた、「人生の中で最も重要なこと(価値)」を再確認し、それに基づいた行動を取ることで、自分の生活をより充実させたいと考えていた。
- マインドフルネスと観察の練習
- 最初のステップとして、マインドフルネスを導入した。患者はまず、日常生活の中で「今、何を感じているか」「今、どんな思考が浮かんでいるか」を観察することから始めた。特に抑うつ感情が強い時に、それらを「無価値だ」「どうしてこんな気持ちになるんだろう」と判断せず、ただの感情として受け入れ、体験することに集中した。これにより、感情や思考に対する反応を減らし、感情が自分の行動を支配することを防ぐ方法を学んだ。
- 受容と無評価の強化
- 受容のプロセスでは、患者が「自分はダメだ」「何もできない」という否定的な思考を完全に取り除くことはできないことを理解し、それらを評価せずに受け入れることを学んだ。ACTでは、「苦しみが生じること自体が問題ではなく、その苦しみにどう反応するかが重要」という視点が強調される。患者は、無気力や自己評価の低さを否定せず、それが一時的な感情であり、時間と共に変化するものであると認識した。
- 価値観の明確化と行動の意図
- 患者は、自分にとって最も重要な価値(家族、仕事での成長、人間関係の充実)を見つけ、それに基づいて行動することを決意した。具体的には、家族との時間を大切にすること、仕事のパフォーマンスを向上させるために少しずつ取り組むことを目指すようになった。特に、「家族とのコミュニケーションを増やす」「週に1回、職場で自分の考えを発言する」といった具体的な目標を立て、少しずつそれに向かって行動を起こしていった。
- 行動の実行とコミットメント
- 患者は、最初は小さな一歩を踏み出すことに集中した。たとえば、仕事が忙しい時でも、15分程度の休憩時間に家族に電話をかけ、日々の些細な会話を楽しむようにした。また、同僚と関わる機会を増やし、日常的に職場のミーティングで自分の意見を少しずつ発言するようになった。これらの行動は最初は不安を感じさせたが、徐々に「自分の価値に基づいた行動をすることが自信につながる」という実感を得ることができた。
- 認知的柔軟性の促進
- うつ病の患者は、自分の感情や思考に固執しがちで、柔軟に対応することが難しい。ACTでは、認知的柔軟性を高めるために、感情や思考の変化に適応できるように訓練する。患者は、うつ病によって引き起こされるネガティブな思考に過度に囚われることなく、次第に「自分は失敗したからダメだ」という自己批判的な思考を手放すことができた。思考が必ずしも現実を反映するわけではなく、考えをただの「考え」として受け入れることが重要であると学んだ。
治療後の変化
治療を進める中で、患者は次のような変化を報告した:
- 感情に対して過剰に反応することが少なくなり、思考や感情に対してより柔軟な態度を取るようになった。
- 自分の価値に基づいた行動を選ぶことで、無気力感や抑うつ的な症状が改善した。特に、以前は避けていた仕事や家庭での役割を積極的に果たすことができるようになった。
- 自己評価が高まり、自己肯定感が向上した。また、感情や思考に振り回されることが少なくなり、日常生活の中で感情的な安定を保てるようになった。
- 定期的にマインドフルネスを行うことで、ストレスを感じた時にも冷静に対処できるようになった。
患者は治療を通じて、うつ病の症状に振り回されることなく、自己の価値を再確認し、目標に向かって行動する力を取り戻した。ACTによる介入は、患者が自己の感情や思考に対する新たな態度を形成し、価値に基づいた充実した生活を築くための有効な手段となった。
このように、ACTはうつ病に対して単なる症状の軽減を目指すのではなく、患者が自分の価値観に基づいて生活を再構築する手助けをするアプローチです。