身体の記憶と治療――人間学的精神療法の光のもとで

身体の記憶と治療――人間学的精神療法の光のもとで

身体は忘れない。私たちが思考の次元で「忘れた」と信じている出来事の多くが、実は身体の襞に刻まれたまま、潜在的に私たちの生き方、感情の動き、対人関係のあり方を支配している。思い出さない記憶が、沈黙のうちに日常を導いている。これが「身体の記憶」の核心である。

1. 忘却されない身体

このテーマに初めて光を当てたのは、ピエール・ジャネ(Pierre Janet)である。彼は心的外傷後の「解離」という概念を通して、トラウマ体験が言語化されずに「身体に沈殿する」ことを明らかにした。ジャネにとって、トラウマとは「処理されえなかった記憶」であり、それゆえに記憶ではなく、むしろ「再演されるもの」であった(Janet, L’automatisme psychologique, 1889)。

私たちは、忘れたつもりでいても、ふとした匂い、音、光の加減、あるいは誰かの仕草ひとつで、「あの時」に戻される。これは、単なる「思い出」ではなく、当時の生理的反応を伴って、たとえば心拍数の上昇、冷汗、呼吸困難といった形で、過去が「今・ここ」に侵入してくる現象である。

2. 身体に宿る「もう一人の私」

ここで思い出すのは、メルロ=ポンティの「身体化された主体(le corps propre)」という概念である。彼は『知覚の現象学』において、身体を単なる物質ではなく、「世界との関係の場」としてとらえた。私たちは身体を「持っている」のではなく、身体で「世界にある」のだ(Merleau-Ponty, Phénoménologie de la perception, 1945)。

この視点からすれば、身体に刻まれた記憶とは、まさに世界との関係性の歴史である。ある人の姿勢、歩き方、話し方は、単に「癖」ではなく、その人が世界とどう出会ってきたかの証左なのだ。ある種の縮こまり、緊張、あるいは過剰な柔和さは、それが生き延びるための「選択」だったということもできる。

3. ローウェンと「身体に触れる治療」

アレクサンダー・ローウェン(Alexander Lowen)は、ヴィルヘルム・ライヒの流れを汲む「バイオエナジェティクス療法(Bioenergetic Analysis)」を通して、身体への直接的なアプローチを提案した。彼にとって、抑圧された感情は筋肉の「防衛姿勢」として身体に固定化される。彼の治療は、この「筋肉の甲冑(muscular armor)」を解きほぐすことで、感情の解放と自己の回復を促そうとする(Lowen, Bioenergetics, 1975)。

ここには、人間学的精神療法と通底する発想がある。すなわち、「人間とは自己と他者との関係の中で形づくられる存在であり、その関係性の歪みや断絶が身体にも刻印される」という洞察である。

4. 人間学的療法の場としての「身体」

ビンスワンガー(Ludwig Binswanger)は、精神療法の場を「存在論的出会い(ontologische Begegnung)」ととらえた。彼の精神現象学は、精神疾患を「存在の様式の変容」として理解しようとするものであり、ここには病理化ではなく、むしろその人の「存在のドラマ」へのまなざしがある(Binswanger, Grundformen und Erkenntnis menschlichen Daseins, 1942)。

この視点を身体の記憶に適用するならば、身体の症状や違和感もまた、単なる医学的「問題」ではなく、その人の存在の歴史そのものの語り手として聴かれるべきだろう。

5. 治癒とは「共に思い出すこと」

ユングは、治癒の本質を「魂の再統合」と見た。私たちは、自分自身の断片と再び出会う旅のなかで癒される。そしてその旅は、決して一人ではできない。だからこそ、心理療法の場とは「共に記憶を発掘し、共に意味を与える」共同作業となる。

ここで思い出すのは、ヤーロムが言う「fellow travelers(ともに旅する者たち)」という比喩である(Yalom, The Gift of Therapy, 2002)。セラピストとクライエントは、師弟関係でもなく、技術者と被治療者でもなく、「ともに人間である」という地平において出会うのだ。記憶が再生されるのは、この共感と信頼に満ちた場においてであり、言語以前の沈黙の記憶が、ふたたび語りうるものとなっていく。

6. 締めくくりに――記憶は語り直されるべき運命にある

身体に刻まれた記憶は、単なる過去の亡霊ではない。それは「語られるのを待っている物語」であり、「意味を与えられるのを待っている沈黙」である。人間学的精神療法の仕事とは、その物語を無理に解釈することでも、症状を取り除くことでもなく、「その物語が語られることを支える場を開くこと」である。

そしてそれは、セラピスト自身が、自らの身体に刻まれた記憶と向き合う勇気を持つところから始まるのだ。


参考文献

  • Janet, P. (1889). L’automatisme psychologique. Paris: Félix Alcan.
  • Merleau-Ponty, M. (1945). Phénoménologie de la perception. Paris: Gallimard.
  • Lowen, A. (1975). Bioenergetics. Penguin Books.
  • Binswanger, L. (1942). Grundformen und Erkenntnis menschlichen Daseins. Zürich: Niehans.
  • Jung, C.G. (1961). Memories, Dreams, Reflections. New York: Vintage.
  • Yalom, I.D. (2002). The Gift of Therapy. Harper Perennial.

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