自分では気づいていない、自分の盲点について、セラピストに指摘されることは、タイミングによっては耐え難い痛みである。
それは細心の注意と優しさを要します。しかし、どんなに配慮深く言葉を選んだとしても、私たちの内には、変化への抵抗や、耳の痛い真実から身を守ろうとする「防御」のメカニズムが働いています。
では、どうすれば、クライエントがフィードバックを、単なる批判や攻撃としてではなく、自己発見のための貴重な贈り物として受け止めやすくなるのでしょうか?
具体性
「あなたは時々、少し冷たく感じることがある」といった曖昧で一般化されたフィードバックは、相手を混乱させ、防御的にさせるだけです。「先ほど私が〇〇について話したとき、あなたの返答が非常に短く、声のトーンも低く感じられ、私は少し突き放されたように感じました」のように、具体的な行動や状況、そしてそれが引き起こした感情を明確に伝えることが重要です。
「好き嫌い」を超えて
クライエントから「先生は私のことが好きですか?」といった、漠然とした好意の確認を求められることがあります。これに対して、単に「はい、好きですよ」と答えるだけでは、あまり治療的な意味を持ちません。むしろ、その質問を「再構成(リフレーム)」し、より深い関係性の探求へと繋げるチャンスと捉えましょう。
「あなたが私にそう尋ねたくなる気持ちは分かります。私たちはここで、とても個人的な時間を共有していますからね。単に『好き』か『嫌い』かというよりも、私があなたとの関係の中で、どのような時に、より繋がりを感じ、惹きつけられると感じるか、そして逆に、どのような時に、少し距離を感じたり、難しさを感じたりするか、そういった具体的な側面について、一緒に話してみることは、より役立つかもしれませんね。」
このように、関係性の具体的なダイナミクスへと焦点を移すことで、漠然とした承認欲求を超えた、より成熟した自己理解へと導くことができます。
「部分(パーツ)」
「部分(パーツ)」という考え方の導入です。これは、クライエントの防御的な壁を、優しく、そして巧みに迂回し、内面の葛藤や両価性(アンビバレンス)を探求するための、非常に有効なアプローチとなりえます。
私たちの心は、決して一枚岩ではありません。むしろ、様々な欲求、感情、信念を持つ「部分(パーツ)」が集まった、一種の「内なる家族」や「委員会」のようなものだと考えることができます。
ある部分は変化を望み、別の部分は現状維持を望む。ある部分は他者との繋がりを求め、別の部分は孤立を恐れる。この内なる多様性を認めることで、クライエントは、自分の中の矛盾した感情や行動を、「悪いもの」「排除すべきもの」としてではなく、理解し、対話し、統合していくべき対象として捉えやすくなるのです。
例えば、請求書の支払いがいつも遅れがちなクライエントの例を考えてみましょう。彼が支払いの話題になると、決まってひどく恥ずかしがり、苦しい言い訳を繰り返すのは、おそらく「支払いを怠っている自分=悪い自分」という全体的な自己否定感に苛まれているからかもしれません。ここで、「部分」の考え方を使うと、次のようなアプローチが可能になります。
「あなたが私の請求書を時間通りに支払えないことには、何か現実的な事情があるのかもしれない、ということは理解しています。そして、あなたがこのセラピーに真剣に取り組んでくれていること、私を信頼し、私たちの時間を価値あるものだと感じてくれていることも、よく分かっています。それは、あなたの『協力的な部分』であり、大切な側面ですね。
…ただ、それと同時に、あなたの中には、私に対して何か複雑な感情…もしかしたら、お金を支払うことへの抵抗感や、何か言いたいことがあるような…そんな『別の小さな部分』も存在するのではないか、と感じるのです。
私は、その『抵抗しているかもしれない部分』の言い分も、ぜひ聞いてみたいのです。もしよければ、その部分に少しだけ、語ってもらうことはできませんか?」
このアプローチのポイントは、クライエントの「全体」を非難するのではなく、特定の「部分」に焦点を当てている点です。
「支払いをしないあなた」を問題視するのではなく、「支払いに対して何か特別な感情を持っているかもしれない、あなたの中の一部分」に、敬意をもって語りかけているのです。これにより、デイブは自己全体を否定されたと感じることなく、より安全に、自身の内なる抵抗感や葛藤を探求する扉を開くことができるかもしれません。
「部分」を用いるアプローチは、様々な場面で、否認や抵抗を和らげ、両価性(アンビバレンス)――つまり、相反する感情や欲求が同時に存在すること――を探求するための、優雅で優しい(gracious and gentle)方法となります。
特に、物事を「白か黒か」「善か悪か」で捉えがちなクライエントにとって、このアプローチは、人間の内面には多様な「灰色の濃淡(shades of gray)」が存在するという、より複雑で現実的な自己理解への、効果的な導入となりうるのです。