螺旋の旅路 時間の織物

螺旋の旅路――連続するセッションという時間の織物

夕暮れ時、診療室の窓越しに見る街の風景は、いつも少し滲んで見える。たぶん、それは西陽のせいなのだけれど、私はそれを、あの一週間の記憶が溶け出しているように感じることがある。セッションを重ねるたび、ここに持ち寄られる言葉と沈黙、それぞれの身ぶりや表情が、この部屋の空気の中に、まるで織物の糸のように漂い、やがて静かに、しかし確かに、ひとつの物語を編み上げていく。

心理療法という営みは、しばしば「点」として経験される。週に一度、約束された時間に、クライエントと私が向かい合い、ただその時間を共にする。しかし、私の実感としては、真に力をもつセラピーは、そうした「点」が、目に見えぬ「線」として連なっていくときに現れる。それは一回一回の出来事ではなく、時間とともに立ち上がってくる一種の「風景」であり、「物語」だ。

このような感覚を、私はときに“連続するセッション(a continuous session)”と呼びたい衝動に駆られる。セッションは週一度の45分かもしれない。しかし、クライエントの心の内部では、その間も、沈黙の中で作業は続いている。夜半、布団の中でふとしたときに浮かぶ言葉や記憶。通勤電車の窓に映る自分の顔に見出す何かの気づき。そうした瞬間のすべてが、セッションの布地に新たな模様を加えていく。

私たちが紡いでいるのは、単なる過去の整理や問題解決ではない。むしろそれは、クライエントが自らの生を、ひとつの「物語」として語り直す作業なのだ。ポール・リクールが「ナラティヴ・アイデンティティ」と呼んだもの──人は語ることによって、自分自身を構成する(Time and Narrative, 1984)。そこには自己の継起性があり、意味の再配置がある。そして何より、その語りには、他者の存在が必要なのだ。

とはいえ、物語は常に直線的に進むとは限らない。むしろ現実は、もっと螺旋的で、循環的で、複雑な様相を帯びている。セッションでも同じである。ときに我々は、既に語ったはずのテーマに、何度も立ち返ることになる。幼少期の体験、親との関係、他者への不信──それらは別の形をとりながら、繰り返しセッションの場に姿を現す。だが、まったく同じではない。あたかも古代ギリシャの哲人ヘラクレイトスが言ったように、「同じ川に二度入ることはできない」。我々は変わり、語り直すたびに、理解もまた深まりを見せる。

このような繰り返しの作業を、精神分析では「ワークスルー(徹底操作)」と呼ぶ。単に気づくのではない。その気づきを何度もなぞり、噛み締め、感情を伴って体験し直すプロセスが必要なのだ。そこにおいて初めて、自己理解が深まり、変化が根付く。

人間学的に言えば、こうしたプロセスは、「存在の自己への帰還」でもある。ヤスパースが『心理学と世界観』(Psychologie der Weltanschauungen, 1919)で描いたように、人間は単なる「物」ではなく、「存在」である。そして存在とは、「世界-内-存在(Dasein)」として、自己の状況のなかに投げ込まれ、そこから理解を始める存在である。セッションは、クライエントが自らの存在状況を語る場であり、そこに意味を見出していく旅路なのだ。

私はセッションの冒頭で、あまり話題をこちらから切り出すことはしない。クライエントの側に、語りたいこと、語らねばならぬと感じていることがあるからだ。メラニー・クラインは、こうした「緊急性のポイント(point of urgency)」に注目すべきだと述べている。そこには、彼らの無意識的な欲望や葛藤が、もっとも露出している可能性がある。

しかし、すべてをクライエント任せにするわけにもいかない。セッションの流れを保持する「連続性(continuity)」は、セラピストの記憶と関心の持続によって支えられている。前回の話題が未消化に終わっていると感じれば、私はときにこう尋ねることがある。「先週のセッションのあと、どのような気持ちで過ごされましたか? あのとき話されたことについて、何か余韻は残っていましたか?」──この問いかけは、ただ過去を振り返らせるだけでなく、現在の自己を再びその文脈の中に位置づける行為でもある。

そしてそれは、クライエント自身の時間を、ばらばらな断片ではなく、一つの「持続としての現在」に束ね直すことを助ける。アンリ・ベルクソンのいう「ドゥリュレー(durée)」、つまり物理的時間ではなく、体験としての時間、その流動性の中にこそ、癒しの契機は潜んでいる。

心理療法とは、結局のところ、「時間をともにする」ということに尽きるのかもしれない。生き急ぐこの時代にあって、週に一度、一定の時刻に、同じ場所で、同じふたりが顔を合わせる──そのことの重みと静けさ。そこには、人生が持ちうるいちばん美しいリズムが宿っている。

そしてその静かな繰り返しの中から、やがてクライエント自身が、自分の物語を、少しずつ語り直し、再編集し、新たな地図として手にしていく。その物語の中に、苦悩はあっても、決して絶望だけでは終わらない構造があること。そこに、我々セラピストの仕事の核心がある。


私の診療室の棚には、古い時計が一つある。針の進みは緩やかで、秒針の音もほとんど聞こえない。だが、その静かな刻みが、セッションの時間を、まるでゆっくりと歩く旅のように感じさせてくれる。心理療法という営みが、いかにして点と点を結び、線となり、やがて螺旋となって、クライエントの魂を育んでいくか──それを、この時計は、黙って見守ってくれているように思う。


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