責任の引き受けと人生の創造

責任の引き受けと人生の創造

――人間学的精神療法の風景の中で

誰しも、ひとたび心の奥底で「こんなはずではなかった」と呟いたことがあるに違いない。自分の境遇、人生の流れ、人間関係の錯綜の中で、どうしてこうなったのか、誰のせいなのかと、問いかける声は、時に嘆きの調べを帯びて胸に響く。

だが、その問いが深まるにつれて、ふと別の静かな問いが立ち上がってくる。「この人生において、私は何を選び、何を選ばなかったのか。あの沈黙は、どれほど雄弁であったのか――」と。

人間学的精神療法において、私たちが出会うのは、まさにこの静かな問いに目を向け始めた人々である。

精神療法の営みとは、いわば魂の耕しである。表面的な症状や機能不全を取り除くだけなら、それは除草にすぎない。だが、そこにある「生き方そのもの」に目を向けるとき、我々は土を掘り返し、根の深さを見極め、どこに水脈があり、どこに石があるかを探ることになる。

ここで避けて通れないのが「責任」という主題である。

責任とは、外から課される刑罰ではない。それは自分の内なる自由と結びついた、重くも豊かな贈り物である。ジャン=ポール・サルトルが「人間は自由という刑に処せられている」と言ったのは、まさにこの矛盾した贈与の性格を言い当てている。

人は自由である。だからこそ、責任を負うのである。選ぶという行為が可能であるがゆえに、その選択が結果をもたらす。そして、選ばなかったこと、見て見ぬふりをしたこと、その「不作為」にさえ、責任は忍び寄る。

セラピーの場において、しばしばクライエントは、自分の苦悩の原因を、自らの手の届かぬところに求める。他者の冷酷さ、幼少期の不運、あるいは遺伝的な素因や脳の不調――。それらが無意味だと言っているのではない。むしろ、それらがいかに意味深く、影響力を持つかを、私たちは誰よりも理解している。

だが、それでもなお、私たちはこう問いかけるのだ。

「たとえあなたに起こることの99パーセントが他の誰かのせいだったとしても、残りの1パーセント――あなたが関わっている部分を考えてみたいのです。なぜなら、私が最もお手伝いできるのは、そこだからです。」

この言葉は、単なる戦略ではない。これは倫理の問題であり、存在の問題である。人間は、意味の存在である(homo significans)。生きるとは、意味づけのプロセスにほかならない。そして、意味とは、他ならぬ私自身が紡ぎ出すものである。

ここで思い出すのは、ヴィクトール・フランクルの姿である。ナチスの強制収容所という極限の中で、彼は「人生が我々に問いかけているのだ」と語った。どんな状況でも、我々は答えることができる。沈黙を選ぶことも、叫ぶことも、祈ることもできる。その選択の自由が残されている限り、人間は人間であり続けるのだ。

同様に、アルフレッド・アドラーは言った。「人は出来事によって傷つくのではない。その出来事に対して、どのような意味づけを与えたかによって、傷つくのだ」と。

人間学的精神療法が目指すのは、こうした存在論的な自由に、再びクライエントが手を伸ばす瞬間を見届けることである。自分の苦悩にどのように関与しているかを知ること。それは、自己断罪ではなく、自己発見の第一歩なのだ。

セラピストは、その旅の伴走者である。時に、古い傷の痂を剥がすような、痛みを伴う作業を共にする。だが、その傷の奥には、まだ息づいている何かがある。まだ語られていない物語がある。ロジャーズが言うように、「完全に受容されたと感じたとき、人は変化し始める」のだ。

こうした内面的な責任の引き受けを促すために、私たちは時に未来の視点を借りることがある。

「五年後、十年後のあなたが、今のあなたを見たとき、どのような選択をしていれば、後悔せずに済むでしょうか?」

この問いは、過去に閉じ込められた人間を、未来に向けて開かれた存在へと誘うものである。未来の自分が、今の自分に語りかけてくる――「あの時、お前はよく頑張った」と。

そこにこそ、人間学的精神療法の倫理的支柱がある。人間は単なる機械ではない。環境の入力に対する反応の結果でもない。人間とは、いま・ここにおいて、新たな意味を創造しうる存在であり、自己を越えて自己を形づくる存在である。

エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で描いたように、人はしばしば自らの自由を恐れ、それを放棄する誘惑に駆られる。だが、人間学的精神療法は、その誘惑に抗う姿勢を貫く。なぜなら、そこにこそ人間の尊厳が宿っているからだ。

人生は与えられるものではなく、創り上げるものである。責任を引き受けるとは、その創造の筆を自らの手に取り戻すことなのだ。

そして、セラピーとは、その筆を持つ手が震えていても、それを握り直すことができるよう、そっと支える営みなのである。


参考文献

  • Sartre, J.-P. Being and Nothingness(『存在と無』)
  • Frankl, V. E. Man’s Search for Meaning(『夜と霧』)
  • Rogers, C. On Becoming a Person(『あるがままの自分を受け入れる』)
  • Fromm, E. Escape from Freedom(『自由からの逃走』)
  • Adler, A. What Life Could Mean to You(『人生の意味の心理学』)

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