1953年。やっぱりいい。完璧。これとCasta Diva が私にとっての、オペラだ。
Addio del passato は誰が歌っても、名曲だ。それは間違いない。しかし Callas の Addio del passato は別物である。人間であることのすべてがここにある。
大の大人が真剣に耽溺するだけの価値がある。狂うに値する。

これはいいというのではなく、参考程度。
これ、最高。
人生にはたくさんの耐え難いこともあります。
そんな時、先輩たちは、こんなのを聴いて、乗り越えてきました。
私たちも、困難に際して、こんなのを聴いて、乗り越えようではないですか。
みんな乗り越えた。私も、あなたも、乗り越えよう。
Casta Diva こそ Maria Callas のための曲だと思う。
これは1958年で、多分、1953-1955くらいが私としては好きだ。
1957年
1955年
1955年
美しいが、美しいが、悲劇が足りない、苦みが足りない。
この人の美しい歌の中には、どうしようもない欲動がない。
きれいな顔をしていて、理性的な言葉も、気の利いたジョークも話せるのに、同時に無意識の強い欲動にも支配される人間のどうしようもなさが、ない。欠けている。
もちろん、こんな人は、公の社会の中で勝ちどうすることは控えなければならない。
そうでなければ厚顔無恥だ。そんな厚顔無恥は、美しくもなく、苦くもない。ただ汚くて醜いだけだ。
こんなものはなくてもいいのだろうし、子供には見せられないし、そんことを言葉で表現したがるのは精神科医だけである。
しかしそれが人間の姿ではないだろうか。人間の歌にはそれが必要なのではないか。
NHKのみんなのうたなら、苦さは要らない。でも、オペラには、苦さが必要だ。
大人の料理は複雑な味なのである。どうしようもなさである。
そしてどうしようもなさに殉じるなら、公の場には出ないことだ。