「イラン人」「アラブ人」「トルコ人」

中東の歴史を理解するうえで、「イラン人」「アラブ人」「トルコ人」という民族や言語グループの違いを押さえることは、極めて重要な出発点です。以下のように民族・言語・宗教・歴史的役割の観点から整理すると、ぐっと見通しが良くなります。


🔶中東の三大民族グループの整理表

グループ主な居住地言語系統宗教歴史的国家
アラブ人アラビア半島、イラク、シリア、エジプトなどセム語系(アラビア語)イスラム教(主にスンナ派)ウマイヤ朝、アッバース朝、現代アラブ諸国
イラン人(ペルシャ人)イラン(旧ペルシャ)インド・ヨーロッパ語族(ペルシャ語)イスラム教(主にシーア派)サーサーン朝、サファヴィー朝、現代イラン
トルコ人アナトリア(トルコ)、かつては中央アジアアルタイ語族(トルコ語)イスラム教(主にスンナ派)セルジューク朝、オスマン帝国、現代トルコ

🔷関係の理解のコツ

① 言語・文化の系統は異なる

  • アラブ人:セム語系(アラビア語)。古代メソポタミア文明とも縁が深い。
  • イラン人:インド・ヨーロッパ語系。古代ペルシャ(ゾロアスター教)を基礎に持つ。
  • トルコ人:もともと中央アジアの遊牧民で、後にアナトリア(現トルコ)へ。

② イスラム帝国の主導権が移り変わった

  • **7〜8世紀:アラブ人(ウマイヤ朝・アッバース朝)**がイスラム世界の中心。
  • **11〜13世紀:トルコ系民族(セルジューク朝)**が力を持つ。
  • 16〜20世紀:トルコ人のオスマン帝国が最大のイスラム帝国。
  • イランでは常に独自のペルシャ文化を保ち、サファヴィー朝以降はシーア派を国家宗教とする。

🔸時代別の主導権の遷移(ざっくり)

時代主な支配者主導権を握った民族
7〜8世紀ウマイヤ・アッバース朝アラブ人
11世紀〜セルジューク朝トルコ系民族
16世紀〜オスマン帝国トルコ人
16世紀〜サファヴィー朝以降のイランイラン人(ペルシャ人)

🔹現代とのつながり

現代国家主体民族宗派・言語歴史的アイデンティティ
イランイラン人(ペルシャ人)シーア派、ペルシャ語サーサーン朝、アケメネス朝などの伝統
イラクアラブ人(+クルド人)シーア・スンナ、アラビア語アッバース朝の中心地だった
サウジアラビアアラブ人スンナ派、アラビア語イスラム発祥の地
トルコトルコ人スンナ派、トルコ語オスマン帝国の後継国家

🧭理解を深める補助視点

  • 民族=国家ではない:例)イラクにはアラブ人だけでなくクルド人(インド・ヨーロッパ語族)もいる。
  • 言語の系統で見るとよい:アラビア語とペルシャ語はまったく系統が異なる。
  • 宗派(スンナ・シーア)の違いは政治的緊張にもつながる(例:サウジ vs イラン)。
  • 支配の変遷をたどると、誰が「中心」だったかが見えてくる。

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