努力が正当に報われる社会の仕組みができたらいいと思う。
成果報酬型の制度だと、
幸運があって努力しないでも成果が上がった人を評価してしまう。
能力が向きだったり、性格が向きだったり、運が良かったり、そんなことで成果が上がる。
でも本人はそんなに努力していないこともある。
一方で、運が悪くて、努力したのに成果が上がらない人もいる。
確かに、努力の方向が間違っていたり、本人は努力したつもりだけれど、客観的に見て、努力が足りなかったり、いろいろなケースがある。
汗の量を測定して、それに報酬を与えるという考えもある。
汗では不正確だから、脳内神経伝達物質とか脳内代謝産物を測定して、努力を客観的に測定できるようになれば、一歩前進するかもしれない。
能力に応じて働き、努力の量としては平等になるようにして、必要に応じて受け取るようにすれば、少しは納得できる社会になる。
その場合も、努力を偽装する技術が開発されるのだろう。努力していないのに努力の測定値が上昇するような方法が開発される。
親が努力した場合、その成果を子供が受け取る権利があるかどうかも議論になるだろう。
「必要に応じて受け取る」の部分も、脳内の物質を測定して決めることができるかもしれない。
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まあ、そうなると、努力も偽装して、必要も偽装して、となってしまうかもしれない。
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人間はそこまで進歩できない。