以下に、オープンダイアローグ的実践とナラティヴ(当事者語り)を統合した応用文例をご紹介します。これは、臨床現場や援助的対話において、当事者の声が「治療対象」ではなく「意味生成の主役」として位置づけられるような支援のあり方を示す、具体的かつ応用可能な記述です。
◆ 応用文例:オープンダイアローグ × ナラティヴ・アプローチによる支援場面の記述
【設定】
- 対象:20代後半、うつ状態と対人不安により職場を休職中の男性Aさん
- 関係者:Aさん、母親、会社の産業医、支援チーム(臨床心理士・看護師)
- 対話の場:地域メンタルクリニックにおけるオープンダイアローグ形式のネットワーク・ミーティング(初回)
【記録文例】
臨床心理士(支援者A):
「今日の時間は、“話し合い”というよりも、“聴き合い”の場として持てたらと思います。Aさんが今感じていること、それに対してどう応えられるかを、みんなで一緒に考えていけたらと思っています。」
Aさん(本人):
「正直、来るのも怖かったです。でも、ここまで来たってことは…何か変えたかったのかなって、今は少し思えてます。」
母親:
「最近、何を聞いても“別に”って言うから、私はもう、どうしたらいいか…Aが何を思ってるのか、本当にわからなかった。」
Aさん:
「“別に”って答えるの、もう癖みたいになってて。でも、本当は“わからないから黙るしかない”って感じでした。なんか、自分の気持ちがどこにあるかもわからなくて。」
支援者B(看護師):
「“気持ちがどこにあるかわからない”って、深い言葉だと思いました。わからないままにしておくのは、すごく苦しかったんですね。」
産業医:
「でもAさんは、“別に”と言いながら、今日ここに来ている。迷ってるけど、どこかで誰かとつながりたいという気持ちがあったのかもしれませんね。」
Aさん:
「……たぶん。“何もない”って言いながら、ほんとは“何かあってほしい”と思ってたのかもしれないです。」
母親(涙ぐみながら):
「“何かあってほしい”って、Aがそう思ってたって今、初めて聞けました…。なんか…嬉しいです。」
臨床心理士:
「Aさんの“何もない”の中には、“何かを探してる”自分がいたのかもしれませんね。そして、今ここで、みんなでその“何か”を見つけていくことができるかもしれない。そんな可能性が、今日生まれた気がしています。」
【補足解説:ナラティヴと実存的支援の統合】
このやりとりには、以下のようなナラティヴ的・オープンダイアローグ的要素が統合されています:
要素 | 内容 |
---|---|
🔹 多声性の尊重 | Aさんの「沈黙」や「曖昧な語り」に意味を与え、母親や支援者の異なる声も共存させている |
🔹 治療者の非解釈的関与 | 「こういうことです」と解釈せず、「どう思いますか?」「そのまま聞いてみたい」と開かれた態度を保っている |
🔹 意味の共創 | 「別に」→「わからない」→「何かを探している」→「何かあってほしい」へと語りが変化していくプロセスが支援の核となっている |
🔹 実存的支援 | 「気持ちがどこにあるかわからない」という語りに寄り添い、“わからなさ”を一緒に抱えることで新たな気づきが生まれている |
🔹 語り直しの可能性 | 「沈黙」や「何もない」という語りが、“希望”や“つながりたい気持ち”として再意味化されていく |
【応用ポイント】
このような実践は、以下のような場面で特に有効です:
- うつ・不安・ひきこもり状態など、語りの乏しいクライアントとの面接
- 家族との関係がこじれており、通院が継続困難なケース
- 「原因」よりも「関係の修復」や「自己理解の促進」が支援の目標になる状況
- 組織内でのチーム支援(産業メンタルヘルス、学校、地域包括支援センターなど)