江原慶『資本主義はなぜ限界なのか――脱成長の経済学』(ちくま新書)
経済学は、経済成長とともに発展してきたといっても過言ではありません。経済学の父といえば、アダム・スミスの名がよく知られています。彼は、1776年に『国富論』という書物を著しましたが、この本は「一国の富はどのようにしたら増大するのか」ということが主題となっていました。経済学は、生まれながらにして、経済成長を目指してきたのです。
経済成長は、経済学の目標であるだけでなく、ひろく世間でも受け入れられる、社会の目標となっているといえます。第2次世界大戦からの復興を象徴する流行語となった「もはや戦後ではない」というフレーズが登場する、1956年の『経済白書』では、このように安定的な経済成長が目指されていました。
もはや「戦後」ではない。(…)回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。
それから約30年後、私が生まれた1987年の『経済白書』でも、やはり安定的な経済成長が、経済政策の目標とされています。
今後は為替レートの一層の安定を図りつつ内需主導型の経済構造を定着させ、必要な構造調整を推進し、物価の安定を維持しつつ内外に均衡のとれた経済成長を維持しうるよう経済政策を運用していくことが基本的に重要であります。
そして、それからさらに30年以上が経った現在でも、『経済白書』では、同じように経済成長が称揚されています。
我が国経済は30年来続いてきたデフレから脱却する千載一遇のチャンスを迎えており、投資や賃金が抑制される「コストカット型経済」から、民需主導の成長型経済という新しいステージへの「光」が差しています。
しかし、そうした文言とは裏腹に、経済成長の勢いは、ますますかすんでいっているのが現実です。図1は、日本・アメリカ・欧州連合(EU)の国内総生産(Gross Domestic Product:GDP)の実質成長率の推移を示したものです。日本は長らく、低成長にあえいでいることが問題視されています。確かに、グラフにしてみると、日本の成長率の低下傾向はいちじるしいといえます。
その一方で、それでは他の先進国のパフォーマンスが日本と比べてそんなに良いかというと、必ずしもそのようには見えません。1960年代の高度成長期の日本がむしろ例外的で、それ以外の時期については、おおむねどの地域も似たり寄ったりで、成長率は右肩下がりだというべきでしょう。
特に不況期の落ち込みが大きく、それが成長率の足を引っ張っているように見えます。ニクソンショックやオイルショックといった経済危機がおり重なった1970年代と、「100年に一度の危機」といわれたリーマン・ショックが発生した2000年代を、成長率の単純平均で比べてみましょう(表1参照)。70年代は、危機とはいえ3〜4%台の成長率を維持していたのに対して、2000年代は、どの地域も0〜1%台の成長率となっており、ほとんどゼロ成長となっています。
このように、先進資本主義国の経済成長は、特に危機に対し脆弱になってきています。「喉元すぎれば熱さを忘れる」ということわざの通り、経済危機はすぐさま忘れられますが、危機が発生すると、ビジネス界だけでなく、社会全体が大きく動揺します。だからこそ、経済危機は恐慌(パニック)とすら呼ばれるのです。
たとえば、2008年のリーマン・ショックは、アメリカ発の金融危機であったにもかかわらず、日本も特に輸出産業を中心に大きな打撃を受け、派遣労働者が雇い止めにあう「派遣切り」が社会問題となりました。翌年の有効求人倍率は0.42倍と、過去最低を記録しました。当時私は大学4年生でしたので、悪夢としかいいようがない就活の実態を目の当たりにしました。
だとすると、こうした危機時の落ち込みから回復し、社会が受けたキズを癒すためにこそ、経済成長が必要なようにも思えます。しかし、近年の経済成長は、私たちの社会を豊かにしているでしょうか。
かつては、経済成長の果実が企業だけでなく一般の人びとにも還元され、日本社会は「一億総中流」ともいわれました。しかし、近年では、成長率がプラスでも、経済格差は拡大しています。高騰する都市部の家賃は、経済成長を象徴する一方で、高すぎる家賃のために生活費を切り詰めたり、郊外に住まざるをえなくなったりするのは、私たちの生活を苦しめています。経済成長が、多くの人びとの経済状況の向上とリンクした時代は、遠い過去のものになっています。
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経済成長が経済危機にもろく、しかもその経済成長そのものも多くの人びとにとって望ましい豊かさを提供できていないのだとすると、経済成長を希求することそのものを再考すべきときがきているように思われます。経済成長が一般の人びとの豊かさをもたらしていた、かつての栄光を取り戻すのも、一つの理想ではあります。しかし、成長が難しくなってきている現状を踏まえ、成長しない経済社会を新たに模索していくのも、現実的な思考ではないでしょうか。
近代以降、長い時間をかけて人びとの思考に浸透した、経済成長の価値を見なおしていくことは容易ではありません。しかし、もし経済学が経済成長とともに発展してきたなら、経済学を根本から見なおしていくことで、成長を必要としない経済の姿も見えてくるかもしれません。
経済学を再考するための一つの方法としては、近代以前の経済社会に目を向けるやり方があります。今の文明の直接のルーツとなっている前近代の社会では、経済成長はほとんどありませんでした。成長を抑制する社会的な規制が働いていたからです。
前近代社会では、おカネもちになることを良くないこととみなす道徳規範がひろく見られました(本書では、「カネ」を貨幣の意味で使い、貴金属の「金(ゴールド)」と区別します)。「宵越しの銭はもたない」のが正しい生き方だと考えられていたのです。もしおカネが貯まってしまっても、宮殿や神殿のような壮麗な建築物や、美しい工芸品、それらを使った祭礼によって、散財することが名誉であり、それがまた、権威を誇示する方法でした。さらに、前近代の工業生産の担い手は、ギルドなどの組合組織をつくっており、そこで技術を伝承するとともに、生産量や生産方法については厳しく制約を課していました。
こうした前近代社会は、見方によっては不自由で停滞した社会です。しかし、これらの規制によって、社会が野放図に拡大することを防ぎ、持続可能性が確保されていたということもできます。実際、古代メソポタミア文明など、最終的には成長を抑制することができなくなり、崩壊していった事例も知られています。
前近代の歴史から学べることはたくさんあります。なにしろ、私たちの社会が、過去に実際に経験していた体制であるわけですから、そのように成長しない社会が実現不可能だということはありえません。しかし、実現可能であることと、実際に実現させることは、まったくの違うことがらです。
昔できたことが今できない、といったことは、一定の年齢に達した大人であれば、誰にでも思い当たるふしがあるでしょう。たとえば、私は子どもの頃、少しだけ中国に住んだことがあるので、日常会話程度の中国語は理解できました。しかし大人になってからは、残念ながら中国語を使う機会がなく、今ではほとんど理解できません。中国人留学生にはたくさん出会ってきましたが、彼らは非常に上手な日本語を使うので、私のヘタクソな中国語の出番がないのです。人の能力は、個々人のうちに単に蓄積されていくものではなく、周囲の環境によって変化するものです。
もし私が今から、もう一度中国語の能力をつけようと思ったら、自身の環境から変えていく必要があります。中国語を使う必要性を意識的に課し、勉強に時間を使うためには、自分のしごとや生活を変えなければなりません。そして、そうした環境の変化が現実的かどうかは、今私がおかれている状況によるでしょう。
私たちの社会にも、同じことがいえます。社会がある程度成熟してくると、以前の社会では当然であった定常状態も、簡単には実現できなくなります。固定化した男女の役割分業など、前近代の社会で当然視されていたさまざまなルールのなかには、今では受け入れられないものもあります。ですから、単に「近代以前は定常型経済が実現されていた」というだけでは、その現実性を論じたことにはなりません。
成長しない経済のリアリティを考えるためには、今の経済社会の状態に関する自己診断が欠かせません。そうした現在の経済システムについての理解にもとづいて、成長がない経済にいたるには、どのような変化が要るのか、明らかにする必要があります。
このように、以前の経済システムから今のそれを区別するときにしばしば使われてきたのが、資本主義という用語でした。近代以降の経済システムは資本主義と呼ばれ、それ以前の封建制などとは異なるわけです。そして日本では、この資本主義とは何かという問いを考えるのは、経済学のなかでも、マルクス経済学と呼ばれる一分野の領分とされてきました。
確かに経済学は、経済成長をほぼ自明視してきました。しかし、こと日本においては、一口に経済学といっても多様で、そのうちマルクス経済学と呼ばれるアプローチが、そのように成長が自明視される資本主義の構造や動態、そしてその歴史を扱ってきたのです。経済成長の必然性を問う思考の前提として、とりもなおさず私たちの経済社会についての自己了解が問われなければならないとすれば、このマルクス経済学の資本主義論をひもとくことが一助となるはずです。
そこで本書では、マルクス経済学の研究成果を活用し、成長を続けてきた資本主義が到達しつつある、さまざまな「限界」に目をこらしてみます。そして、資本主義と経済成長の関係を考えなおし、成熟した社会における新しい経済学を目指します。経済成長の追求を意識的に断ち切ることを「脱成長」と呼ぶとすると、本書は、マルクス経済学から出発して、「脱成長の経済学」を模索するものです。
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第1章では、まず経済学がどのように経済成長の学問として発展したのかを、ごく簡単に振り返ります。経済学は近代のはじまりとともに創始されてきた学問分野ですが、経済成長という言葉が今と同じ意味で使われるようになるのは、20世紀に入ってからです。そのギャップには、経済成長をとらえることの難しさが潜んでいます。
続く第2章では、経済成長のとらえ方を考えます。そもそも経済成長とは何を測っているのか分からなければ、経済成長をやめるということの意味も分かりません。経済成長と脱成長の概念を考えることをつうじて、脱成長の経済学がなぜマルクス経済学に基礎をおくべきなのか、明らかにします。
第3章では、経済成長の実例として、第二次世界大戦後の成長期の構造を確認します。この時期は、資本主義の黄金時代であるとともに、日本では公害が広がった負の時代でもあります。その時代をつうじて、高度経済成長と公害問題を論じるための土壌が、マルクス経済学を出発点として育まれていきました。
第4章では、この経済成長期を経て、現在の低成長の時代がどのようにはじまったのか、雑観します。20世紀の終わり頃から、資本主義世界の成長は失速していきます。そのなかでも、日本の経済成長が鈍化するのは比較的最近で、それゆえに日本では、経済成長を問う問題意識が立ち上がるのが遅れています。こうした経験から、どのような視点の転換が必要とされているのか、検討します。
第5章からは、脱成長の経済学の理論的内容に入っていきます。第5章では、再生産という発想を軸として、低成長の時代を分析するための理論枠組みを考えていきます。再生産は、一定の条件下で経済が持続的に循環できるしくみを分析するものですが、その循環の持続性のためには、外部からのエネルギー補給と、廃棄物の排出が不可欠です。経済成長は、再生産の規模が大きくなることを意味しますから、成長しなくなっているということは、再生産の規模拡大に何らかの制約がかかってきているということでしょう。この制約にはどんなものがあるのか、考えてみます。
第6章では、経済成長の構造を考えるために、マルクス経済学の基本命題を紹介します。マルクス経済学といっても、実はいろいろな流派があるのですが、多くの人びとが合意する命題に、「企業の利潤は、労働者に対する搾取を源泉とする」というものがあります。これは「マルクスの基本定理」として、数学的に定式化されています。ここから出発して、脱成長といっても、成長の原資である利潤が廃絶される社会と、利潤を成長に使わない社会の2種類がありうることを見ます。後者の場合は、利潤追求が否定されないので、市場を中心とした経済社会は存続することになります。
市場経済が存続するといっても、脱成長経済においては、市場に一定の規制が課されることになります。第7章では、脱成長した社会における株式市場について考察します。株式市場は、資本主義経済の中心で、経済成長と不可分のように思えます。しかし、株式市場はほんらい、一定のルールの下でしか成り立たない市場です。ですから、成長至上主義に替えて、利潤を社会的に統制するルールを適用することも、理論上は排除されません。そうした脱成長株式市場の姿を構想してみます。
続く第8章では、脱成長した社会における貨幣について考えます。もし、脱成長市場経済がありうるなら、そこではおカネが使われているはずです。資本主義はこれまで、経済成長を前提に貨幣システムを運用してきましたから、脱成長下でも貨幣がうまく機能するかどうかは検討の余地があります。ここでは、現代の金融システムにおいて、脱成長が実現するために必要な政策的指針を、脱成長貨幣論として示します。
最終章である第九章では、現在の日本資本主義の状態から、以上で議論してきた脱成長論をとらえ返し、本書のまとめとします。
