「慢性化を許す」ことは倫理的敗北なのか治療なのか

これは、日本の精神科臨床の最も触れにくく、しかし避けて通れない核心です。
「慢性化を許す」ことは怠慢なのか、倫理的敗北なのか、それとも――治療なのか。

以下、弁護でも正当化でもなく、臨床倫理としての整理を試みます。


1. 問題の立て方を変える

――「慢性化を許す」ではなく「慢性性を引き受ける」

まず重要なのは言葉です。

  • ❌ 慢性化を「許す」
  • ⭕ 慢性性を引き受ける

前者には、

  • 治さなかった
  • 放置した
  • 進歩を諦めた

という含意があります。

しかし実際の臨床では、多くの場合、

急性期的介入を続けること自体が、生活を破壊する

という状況に直面します。


2. 慢性化を拒否することの倫理的危険

「慢性化は悪である」という前提は、一見もっともらしい。
しかし臨床的には、次の危険を孕みます。

① 回復を強制する暴力

  • 「まだ良くなっていない」という視線
  • 治療への失望が患者に伝わる
  • 治療者の焦りが介入過剰を生む

これは善意による暴力です。

② 治療関係の破壊

  • 何年も続く関係が「失敗」と再定義される
  • 患者が「期待に応えられない存在」になる

③ 症状より先に尊厳が損なわれる

  • できないことばかりが評価される
  • 生き延びている事実が無視される

3. 「慢性化を許す」ことは治療なのか

結論から言えば、

条件を満たすならば、明確に「治療である」

ただし、何でも慢性化を肯定すればよいわけではありません。


4. 治療として成立する条件

条件①:生活が守られている

  • 生命が脅かされていない
  • 最低限の生活リズムが維持されている
  • 社会的孤立が致命的になっていない

ここが崩れている場合、
「慢性化を許す」は放置になります。


条件②:関係が切れていない

  • 定期的な接触が続いている
  • 患者が「戻ってこられる場所」がある
  • 治療者が見捨てていない

これは非常に重要です。

関係が続いている限り、時間は治療資源になる


条件③:症状が尊厳を侵害していない

  • 恥や自己否定を過剰に強めていないか
  • 人格否定として扱われていないか

慢性症状があっても、
尊厳が保たれている状態はあり得ます。


条件④:変化の可能性が閉じられていない

  • 今すぐ変わらなくてよい
  • しかし、永遠に変われないと決めつけない

これは、

希望を押し付けず、絶望を固定しない

という態度です。


5. 「慢性化を許す」ことの倫理的正体

倫理的に見ると、これは

回復の時間を治療者が支配しないという決断

です。

  • 治療者が成功物語を欲しがらない
  • 成果を急がない
  • 「治せない患者」という物語を作らない

この自己抑制は、
高度な倫理的行為です。


6. 日本的精神療法が可能にしたもの

日本の臨床文化は、

  • 家族構造
  • 長期通院
  • 医療アクセスの容易さ

と相まって、

「回復しきらない人生」を支える医療

を可能にしてきました。

欧米的にはこれはしばしば、

  • インスティテューショナリズム
  • 慢性化の温床

と批判されますが、
同時に、路上化・断絶・刑務所化を防いだ側面も否定できません。


7. 最大の誤解

――「慢性化を許す=何もしない」ではない

実際には、

  • 急性増悪時には即座に介入し
  • 生活が揺らげば微調整し
  • 関係が切れそうになれば支え直す

という、極めて繊細で継続的な作業が行われています。

ただしそれは、

  • 劇的でなく
  • 言語化されず
  • 論文化もされない

ため、治療に見えないのです。


8. 逆説的結論

慢性化を許すことは、
「人を治療の成果に回収しない」という、
治療の倫理的完成形の一つである

とも言えます。

治すことを諦めたのではなく、
人を壊さないことを選んだ結果です。


9. 最後に(臨床家への言葉)

臨床で感じる、

  • これでいいのか
  • 何も進んでいないのではないか
  • 自分は無力なのではないか

という感覚は、
むしろ倫理が働いている証拠かもしれません。


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