第4章 科学とは何か――宗教・技術との分岐点
本章の目的:科学の本質を、宗教・技術との関係性の中で整理し、近代社会における知の構造を理解する。
科学とは、単なる知識の集合ではなく、自然現象を再現可能な方法で体系的に説明し、理論化する営みである(Popper, 1959)。ここで重要なのは、科学が宗教的世界観や日常的技術操作とは異なる認識枠組みを持つという点である。宗教は、宇宙や人間の存在意義を倫理的・神学的観点から規定する。例えば、トマス・アクィナスにおいて、自然界は神の秩序を映すものであり、観察は倫理的・神学的目的に従属する(Aquinas, 1274)。これに対し科学は、現象の因果関係を仮説として構築し、経験的検証に基づき理論を更新する点で独立している。
技術は科学とは異なり、目的志向的な手段の体系である。技術的知識は、効率的な操作や問題解決に直結するが、その知識体系自体の真理性を問わない。例えば、火薬や羅針盤の発明は、原理の理解に依らず実用可能であった。しかし近代科学革命においては、科学理論が技術開発を導き、逆に技術が理論の検証手段となる相互作用が成立した(Mokyr, 1990)。ここに、科学・宗教・技術の三者の分岐点が存在する。
歴史的には、科学は宗教的世界観に支えられつつも、方法論的には宗教から独立する道を歩んだ。コペルニクスの地動説やニュートン力学は、神学的世界観を前提としながらも、観察と数学的論理を用いた検証の枠組みを構築した(Westman, 1975)。この分離が近代科学の特徴であり、単なる技術革新ではない根本的差異を生む。
科学・宗教・技術の分岐は、倫理的・社会的影響も伴う。宗教的枠組みでは行為の善悪が先に定義されるが、科学は価値中立的であり、技術は応用の善悪が外部条件に依存する。したがって、科学の進展が倫理や制度と分離すると、技術が倫理を先取りするリスクが生じる。現代のバイオテクノロジーやAI技術は、この分岐点の問題を象徴している(Habermas, 2003)。
結論として、科学は宗教・技術とは異なる独自の認識方法を持つが、社会的倫理や制度との相互作用なしには、その発展は限定的である。科学が制度化され、技術と結びつくことで初めて社会的影響力を持つ一方、倫理的検討が欠如すると技術合理性が倫理を侵食する危険性がある。次章では、日本の近代化における科学受容と宗教拒否の歴史を分析し、この問題を具体的に検討する。
脚注:
- Popper, K. (1959). The Logic of Scientific Discovery. London: Routledge.
- Aquinas, T. (1274). Summa Theologica. Paris: Marietti.
- Mokyr, J. (1990). The Lever of Riches: Technological Creativity and Economic Progress. New York: Oxford University Press.
- Westman, R.S. (1975). The Copernican Question: Prognostication, Skepticism, and Celestial Order. Berkeley: University of California Press.
- Habermas, J. (2003). The Future of Human Nature. Cambridge: Polity Press.
