二〇二六年二月投票の衆議院議員選挙

二〇二六年二月八日投票の衆議院議員選挙が近づいている。
新聞紙面や、夜のテレビのニュースで、折にふれて知らされる。知らされる、というよりは、寒気のようなもの、絶望が、少しずつ身にしみてくる感じに近い。

高市政権は、軍事費の大幅な膨張を掲げ、消費税の減税を唱え、積極財政を進めるという。明らかに矛盾している。

軍事費は、アメリカの要求に従えば、まもなくGDP比五パーセントに達し、三十兆円規模になるらしい。数字だけを聞くと、現実感はない。ただ、重たいものが、確実にこちらへ向かって転がってきている、そんな気配だけがある。

一方で、消費税は減税し、その穴は五兆円ほどになる。財源について問われると、インフレが進んで税収が上振れしているから賄える、と言う。昨日は、所得税を一パーセント上げるという話まで出ていた。言葉は軽やかだが、帳尻はどこかで合わされる。合わされる場所が、どこになるのか、それが見えない。あるいは隠されている。隠されたままでだまされるのだろうか、人々は。

中国との関係は悪化し、貿易は縮小し、レアアースも入りにくくなっているという。生活の中では、全体の値上がりだけが実感される。壊れた機械の部品が手に入らない、薬の原料が届かない、そういうかたちで、徐々に現実になるのだろう。

非核三原則は見直され、核の持ち込みは容認したいという。核兵器を持つことが、安上がりな自衛策だという考えを、少しずつ浸透させたいらしい。命の話をしているはずなのに、事務的な話をしているような調子である。

新成長産業の育成は、思ったようには実らなかった。結局、軍事産業に投資し、武器を輸出したいのだという。ここまで来れば、憲法九条二項の変更や、安保法制の見直し、そのほかの法律も変えたいのだろう。選択的夫婦別姓は阻止し、日本国旗棄損罪も作りたいという。長期国債の利率は急に上がりはじめた。

全体としてみると、高市周辺を支持してきた団体の、かねてからの主張が、そのまま並んでいるようにも見える。私は、そのあまりにそのままの現実に、大きな不安を覚える。

石破氏が総裁に選出された総裁選の時、小泉候補は選択的夫婦別姓に賛成とうっかり口を滑らせ、その団体の不興を買い、支持が得られず、総裁になれなかった経緯がある。

今回、高市氏はその団体の意向に沿う方向で口を滑らせ続けている。どこまでいけるか測っているようである。

原発と軍事は、金があるから政治的影響力も強い。政治家にも有権者にもお金が回る。
今日のテレビでは、九州のある地方で、自衛隊を誘致して地元経済を活性化したいという意見と、戦争に巻き込まれるのは嫌だ、平和を守りたいという意見が、並んで紹介されていた。どちらの声も、切実だった。切実であるがゆえに、互いに噛み合わない。

原発も、発電再開を決めたものの、相次ぐ故障で一度は中止し、それでもすぐに再開されたという。事故が起きた場合の住民避難の具体策は、まだ決まっていないままだ。走りながら考える、という言い方があるが、ここでは、止まること自体が許されていないように見える。

自衛隊の人員構成についても聞いた。上層部は九割以上が充足しているが、下層部、つまり現場で動く若い人たちは七割程度だという。待遇を改善し、スカウトを強化し、経済的な理由で人を集めたいようだが、うまくいっていないらしい。そもそも、若者が少ない。軍備膨張を続けてゆくと市民生活は貧しくなる、すると子供を産んで育てることは難しくなる、少子化になると軍隊に入る人も少なくなる、一人息子を死なせたくない、という循環で、軍備膨張は、少子化につながり、軍隊の編成に支障をきたすという矛盾を抱えている。

選挙は、右派政党がいくつも出てきて、にぎやかである。主張は大衆迎合的でもあり、ある種の団体の意見をそのまま写したようでもある。それでも、市会議員から県会議員まで、全国的に組織を張り巡らせている。その組織力と資金力が、どこから来ているのか。いろいろな噂はあるが、どれもはっきりしない。わからない、ということ自体が、不安を増幅させる。排外主義的主張が大きく響いている。多くの人が賛同の拍手をしている。

自民党との連立を離脱したばかりの公明党は立憲民主党と一緒に中道改革連合を結成した。政策は公明党の方針に立憲が従った形になった。右寄り中道であり、従来の自民党の真ん中あたりともいえる。そのように言えるほど、自民党高市一派は急速にはるかに右に行ってしまった。昔は、どの政党も、国会議員の本音は右だけれども、投票者の本音は真ん中か、やや左寄りというパターンが多かった。安倍派が右の票を掘り起こし、さらに石破時代に参政党がその右の票を横取りしつつ掘り起こし、今回は高市の人気で右派票を奪取する傾向だ。

年齢別の支持政党、支持政策を調査すると、若い人ほど、高市支持と出ている。若い人の教育、考え方、日ごろ接している情報、脳に影響を与える環境が、高齢層とは全く違ってきていることが原因のようだ。若い人には若い人なりの理由があるのだろうとおおらかに見守ってよいものなのか、派手に釣られていると憂慮すべきなのか。クジラが全員で浅瀬を目指して泳いで死んでしまう。蛾が焚火に吸い寄せられて死んでしまう。そのような図も思い浮かぶ。アメリカ軍部の司令官の指揮の下、日本の軍人が中国などとの交戦で命を落とすなどの未来が、かなり明確に迫っている。

ネットでは、ユーチューブやXで、高市を賛美し、反高市を貶める動画や記事が大量に出現している。ネットはその人の好むコンテンツを次々に提供してくれるはずなのに、選挙関連に関しては、好まないコンテンツが次々に紹介されている。お金があれからできることだろう。

総じて、私は、大変不安で、大変憂鬱である。
若者の命が惜しい。
先人が積み上げてきた精細なものが、荒々しい勢力に踏み荒らされる。

そんな折に、少し前、新しい相談者が来た。
秋田生まれの女性で、いまは東京で働き、子育てをしているという。都会の生活にも慣れたはずなのに、言葉の端々に、まだ雪国の湿り気のようなものが残っていた。声は低く、急がず、こちらの反応を確かめるように話す人だった。

秋田の旧家で、親は頭が古すぎる、と彼女は言った。
家の決まり、親戚の目、黙って耐えることを美徳とする空気。そうしたものを一つ一つ挙げながら、彼女は、どこか申し訳なさそうに微笑んだ。愚痴を言う資格が自分にあるのか、まだ迷っているようにも見えた。

言葉は憂うつで、表情も沈んでいたが、全体にどこか優美なところがあった。姿勢がよく、身振りが小さく、感情を大きく外へ出さない。その控えめな様子は、長い時間をかけて身についたものだということが、こちらにも伝わってくる。

秋田美人。秋田は自殺が多いことで知られている土地。美しさと、消えやすさ。そんな言葉を結びつけるのは不謹慎だと分かっていながら、その二つは、私の中で、ふと、自然につながってしまった。

彼女の話は、決して特別なものではなかった。
仕事と育児の両立の苦しさ。実家との距離。助けを求めるたびに、「あなたが選んだ人生でしょう」と返される虚しさ。だが、そのどれもが、深く沈んだ声で語られると、まるで長い冬の話を聞いているような気分になった。

昔、京都に都があり、北前船が日本海を行き来していた。
北海道の昆布やニシンなど、日本海側の特産品は、北前船に積まれて京都へ運ばれた。華やかな都と、厳しい雪国とが、一本の航路で結ばれていた時代である。

その帰り道、京都からは、お公家さんの娘が秋田へ送られた、という話を、私は思い出した。史料として確かなものではない。ただ、地方に伝わる、半ば伝説のような話である。

お公家さんの家では、どの娘を秋田へやるか、ひそかに話し合われた。
誰が一番、田舎暮らしに耐えられるか。誰が一番、文句を言わずに従うか。そんな基準が、言葉にされぬまま、共有されていたのではないかと、私は勝手に想像する。

結局、選ばれたのは、おとなしく、聞き分けがよく、気の弱い娘だった。
気の強い娘、ものをはっきり言う娘は、京都に残った。残ることができた、と言ってもいい。

そうして秋田へ嫁いだ娘は、その土地で子を産み、暮らし、やがて土に還った。
美しく、従順で、耐えることを身につけたまま、遺伝子を残した。その遺伝子は、世代を越えて、少しずつ形を変えながら、今もどこかで息づいているのかもしれない。

美人で、我慢強く、そして、どこか自分を責めやすい。
何かうまくいかないことがあると、まず自分を疑ってしまう。声を上げる前に、沈黙を選んでしまう。そんな気配を含んだ遺伝子である。

もちろん、根拠はない。
科学的な裏づけもない。ただの連想にすぎない。それでも、秋田美人という言葉と、自殺の多さという数字が、私の中では、細い糸で、どうしてもつながってしまった。

相談室で向かい合っていた彼女は、何百年も前の話など、知る由もない。
それでも、静かにうつむく横顔を見ていると、その細い糸が、時間を越えて、確かにこちらへ伸びてきているような気がした。

国家のことと、一人の女性の憂うつは、直接には関係がない。だが、遠くから見れば、どちらも、声を上げにくいものが、静かに押しつぶされていく風景の一部なのかもしれない。

ニュースでは連日、北国の大雪が伝えられている。降り積もった雪が、今日はいったん融けて、また土曜日くらいから冷えて大雪が積もるという。雪の重さによる建物の損壊が報道されている。日曜日が投票日にあたる。北国の投票率は低くなりそうだ。

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