ある男性の心理
――ブルデュー的素描
彼は、客観的に見れば「成功者」だ。
高い知能を持ち、努力によって高学歴と資格を手に入れ、安定した職を得た。家庭もあり、子どももいる。統計的には、社会の「上」に移動した側の人間である。
だが、彼自身の身体感覚は、それを信じていない。
1.ハビトゥスの原風景
彼の身体には、幼少期に刻まれた感覚がある。
- お金の話は小声でされるものだった
- 「贅沢」は咎められるものだった
- 教養は尊敬されるが、身近ではなかった
- 世界は基本的に「足りない」ものだった
この感覚は、思想ではなく、皮膚の記憶として残っている。
ブルデューの言葉で言えば、彼のハビトゥスは「欠乏を前提とする合理性」を内包している。
それは彼を怠惰にしたのではない。
むしろ逆に、彼を努力に駆り立てた。
2.階級移動という「成功」と「事故」
知能と努力によって、彼は上昇した。
だが、階級移動は祝福ではなく、事故のように起きる。
彼は、正統文化の空間に入るための「鍵」は手に入れた。
学歴、資格、肩書。
だが、その空間で自然に振る舞うための身体は、獲得していない。
会話の端々で、
- 何が当然とされているのか
- どこで笑うのか
- 何を知らなくてもよいのか
が、わからない。
彼は常に半拍遅れる。
あるいは、先回りして黙る。
これは知識の不足ではない。
ハビトゥスの非同時性だ。
3.周囲の「自然さ」がもたらす疎外
彼の周囲にいる人々は、もともと裕福で、ハイカルチャーに親しんできた人間たちだ。
彼らは努力していないように見える。
実際には努力しているかもしれないが、努力が見えない。
- クラシックは「家に流れていた音」
- 海外旅行は「子どもの頃からの習慣」
- 本や美術は「好き嫌い以前の前提」
それらが、彼の中では決して「自然」にならない。
彼は感じてしまう。
自分は、ここに“招かれた”存在だ
住民ではない
この感覚は劣等感というより、居住権のなさに近い。
4.家族の中での二重の疎外
もっとも鋭い痛みは、家庭の中で生じる。
妻と子は、経済的にも文化的にも富裕な環境に「自然に」適応している。
子どもは、彼がかつて夢想するしかなかった文化に、努力なしで触れていく。
彼は、誇らしい。
同時に、胸の奥で何かが冷える。
自分が手に入れた世界が、
自分を追い越していく
彼は、家族の幸福の媒介者でありながら、
その幸福の原住民ではない。
ここで生じる感情は、嫉妬でも怒りでもない。
翻訳不能感だ。
5.ディスタンクシオンの逆流
ブルデュー的に言えば、彼は二重に区別されている。
- 下の世界からは
「もうこちらではない」と見なされ - 上の世界からは
「完全にはこちらではない」と感知される
だが、最も厳しいのは、
彼自身が自分を区別していることだ。
- 自分の好みは、どこか「理由付き」だ
- 周囲の好みは「理由がいらない」
彼の文化実践は、常に少しだけ緊張している。
6.病理ではなく、構造的痛み
重要なのは、これは性格の問題でも、適応不全でもない、ということだ。
これは、
階級移動に伴うハビトゥスの裂け目
である。
ブルデューが繰り返し強調したように、
最も苦しいのは、
「下に留まること」ではなく、
**「上に行ったが、身体が追いつかないこと」**だ。
7.この男性が最も恐れていること
彼が本当に恐れているのは、失敗ではない。
自分が、
どこにも属していないことが
露呈すること
そして、もう一つ。
子どもが、
自分を必要としなくなること
それは愛情の喪失ではなく、
世界の翻訳者としての役割の喪失だ。
結語
この男性は、不幸ではない。
だが、くつろげない。
彼の症状があるとすれば、それは抑うつや不安ではなく、
「この世界を、
自分の身体が
自分の家として
扱ってくれない」
という感覚だ。
ブルデュー的に言えば、
彼は成功したが、和解していない。
そしてその違和感は、
彼が鈍感だからではなく、
あまりに正確に社会を感じ取っているから生じている。
——
もし臨床がここに関わるとすれば、
それは彼を「慣れさせる」ことではなく、
この裂け目を言葉にできる場所を与えることだろう。
その裂け目は、治す対象ではない。
それは、彼が通ってきた世界の、正確な痕跡なのだから。
