1. フロイト的視点:超自我化する国家
1-1. 国家は「父」ではなくなった
フロイト的に言えば、近代国家はもともと
- 禁止する(法)
- 罰する(警察)
- 保護する(福祉)
という外在的父性を担っていました。
しかし現代日本では、国家はもはや
- 明確に禁止しない
- 露骨に罰しない
- 十分には守らない
代わりにこう語ります。
「自己責任で判断してください」
「選択の自由です」
「頑張る人を応援します」
これは父の不在ではありません。
父が内面化され、超自我になった状態です。
1-2. 超自我は「優しい言葉」で人を壊す
フロイトが鋭く見抜いたのは、
超自我は、禁止よりも
理想を突きつけることで残酷になる
という点です。
現代国家の超自我的メッセージは、
- 自立しろ
- 前向きであれ
- 成長せよ
- 負担を分かち合え
しかし失敗したとき、
- 国家は罰しない
- だが見捨てる
このとき主体は、
- 怒りを外に向けられない
- 不満を政治化できない
結果、
攻撃性は自己へ反転する
これはフロイトが記述した
抑うつの力動そのものです。
2. 臨床心理の比喩:社会の抑うつとアパシー
2-1. 社会は「抑うつ相」に入っている
臨床的に見れば、現代日本社会は
- 悲嘆は語られない
- しかし活力もない
- 希望は強要される
これは典型的な抑うつ状態です。
特徴は、
- 感情の平板化
- 未来を思考できない
- 何かを望むこと自体が疲れる
社会全体が、
「怒るほどのエネルギーも残っていない」
状態にあります。
2-2. アパシーは「適応の成功」でもある
重要なのは、
このアパシーは単なる病理ではありません。
- 期待しない
- 夢を語らない
- 深く関与しない
これは、
壊れないための防衛
です。
臨床でいうなら、
- 希望を持てば失望する
- 期待すれば裏切られる
だから主体は、
最初から感情を下げる
社会的アパシーは、
過剰な超自我要求への集団的防衛反応です。
2-3. なぜ暴発しないのか
他国と比べ、日本では
- 大規模暴動が少ない
- 政治的怒りが持続しない
これは「従順」ではなく、
怒りが自己責任化され、内在化された結果
です。
- 苦しいのは自分のせい
- うまくいかないのは努力不足
この語りが成立している限り、
- 社会は壊れ続ける
- だが騒音は立たない
これは静かな精神病理です。
3. 回復モデルとの緊張関係
ここで、回復モデルが登場します。
3-1. 回復モデルの本来の力
回復モデルは本来、
- 症状中心ではなく
- 人生中心
- 意味・希望・主体性を尊重
する、非常にラディカルな思想です。
フロイト的・臨床的に見ても、
- 「あなたは壊れていない」
- 「あなたの人生は続いている」
という宣言は、
超自我への抵抗になりうる。
3-2. しかし日本では歪む
問題は、日本社会の超自我構造の中で、
回復モデルがこう変質することです。
- 回復=前向き
- 希望=努力
- 自己決定=自己責任
結果、
回復モデルが
超自我の代弁者になる
という逆転が起きます。
- 回復しない人は怠けている
- 希望を語れない人は未熟
これは回復モデルの裏切りです。
3-3. 「回復しない自由」が許されない社会
臨床的に最も危険なのは、
回復できないこと自体が
新たな罪になること
です。
- 治らない
- 変われない
- 元気になれない
このとき主体は、
- 社会からも
- 支援からも
- 自分自身からも
追い詰められます。
これは、
超自我が回復モデルを飲み込んだ状態
です。
4. 三つを貫く一本の線
整理します。
- 国家は超自我化し
- 社会は抑うつ化し
- 回復モデルは理想の道具になる危険を孕む
この構造の中で、臨床家の位置は特殊です。
5. 臨床家はどこに立つのか
臨床家が引き受うる役割は、
「治すこと」よりも前に、
超自我の声を一段下げること
です。
- 頑張らなくていい
- 希望を語らなくていい
- 回復しなくても、生きていていい
これは政治的スローガンではなく、
臨床的介入です。
社会が抑うつ相にあるとき、
- 無理に躁を作らない
- 無理に意味を与えない
こと自体が、
抵抗になります。
6. 結語:支援が「抵抗」になる瞬間
最後に、フロイト的に言えば、
真に倫理的な支援とは、
超自我に与しないことである
回復を急がせない
希望を強制しない
意味を押しつけない
それは一見、消極的ですが、
この社会構造の中では、
もっともラディカルな行為
です。
