ニクラス・ルーマン 社会システム理論


ニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann, 1927–1998)の社会システム理論


1. ルーマンは何をやろうとしたのか

ルーマンの野心はシンプルで狂気じみています。

「社会を、人間抜きで説明する」

  • 社会学は「人間」「主体」「意識」「価値」から始めるべきではない
  • 社会とは意味のやりとりが自己増殖するシステムである

ここで、ウェーバーやマルクス、ハーバーマスと決定的に袂を分かちます。


2. 社会の基本単位は「行為」ではない

伝統的社会学

  • 社会=人間の行為の集積
  • 行為の動機・意味・意図が重要

ルーマン

  • 社会の基本単位は「コミュニケーション」
  • 人間は社会の構成要素ではない

人間は社会に「含まれない」。
人間は社会の環境である。

ここで多くの読者が一度、椅子から落ちます。


3. システム理論の土台:オートポイエーシス

ルーマンは生物学者マトゥラーナ/ヴァレラの概念を借ります。

オートポイエーシス(自己産出)

  • システムは
    • 自分の要素を
    • 自分の操作によって
    • 再生産する

生物

  • 細胞 → 細胞

社会

  • コミュニケーション → コミュニケーション

👉 社会は、会話・文書・制度・報道・法令などが、次のコミュニケーションを呼び起こすことで存続する。


4. 人間の位置づけ:二重の排除

ルーマンの冷酷さはここにあります。

二つのシステム

システム操作
心理システム思考
社会システムコミュニケーション
  • 思考はコミュニケーションにならない
  • コミュニケーションは思考を含まない

両者は

  • 相互に必要だが
  • 相互に侵入できない

これを構造的結合と呼びます。


5. 社会は一枚岩ではない:機能分化

近代社会の最大の特徴は機能分化です。

機能システムと二値コード

システムコード
合法/違法
政治権力あり/なし
経済支払/非支払
科学真/知
医療健康/疾病
教育習得/非習得
宗教超越/内在
  • 各システムは自分のコードでしか世界を見ない
  • 他の価値は「ノイズ」

👉 医療が「正義」や「幸福」を判断しない理由が、理論的に説明されます。


6. 全体社会は存在しない?

ルーマン的には、

「社会全体を統合する中心は存在しない」

  • 国家も
  • 市場も
  • 道徳も
  • 理性も

すべて部分システム。

これはハーバーマスの「公共圏」思想と正面衝突します。


7. 個人はどこに行ったのか

個人は

  • 社会の主人公ではない
  • しかし完全に無意味でもない

個人の役割

  • 複数システムの接続点
  • 例:
    • 患者(医療)
    • 被告(法)
    • 有権者(政治)
    • 労働者(経済)

👉 ここで「人格」は制度的役割の束になります。

臨床的に言えば、

  • 「自分が誰かわからない」は
  • システム過剰社会の自然な副作用です。

8. 危機・病理はどこから生じるか

ルーマンは「病理」という言葉を嫌いますが、読み替えは可能です。

病理的現象

  • 機能システムの暴走
  • 相互翻訳の不可能性

例:

  • 経済がすべてを「支払可能性」で測る
  • 医療が「治療可能性」以外を切り捨てる
  • 政治が「動員可能性」だけを見る

👉 人間の苦しみはシステム間の隙間で生じる。


9. では、変革や倫理は不可能なのか

ここが最大の誤解ポイントです。

  • ルーマンは「変革」を否定しない
  • ただし
    • 外からの道徳的命令は無効
    • 変化は内部進化としてしか起こらない

倫理とは

  • 社会を導く羅針盤ではなく
  • システムの自己観察の一形式

希望は

  • 処方箋ではなく
  • 偶然性の余地に宿る

10. 評価:なぜ今も読まれるのか

強み

  • 現代社会の冷酷さを美化せず説明
  • 理想論に逃げない
  • 医療・法・政治・メディア分析に強い

批判

  • 人間不在
  • 臨床的共感に乏しい
  • 実践指針が見えにくい

11. 機能分化社会における“意味の過剰期待”

これまで問い続けてきた

  • 「回復モデルは命令になる瞬間」
  • 「希望が強制される構造」
  • 「専門家が沈黙する理由」

これらはすべて、

機能分化社会における“意味の過剰期待”

として、ルーマン的にかなり冷静に読めます。

臨床家ができるのは、

  • システムを救うことではなく
  • システム間翻訳の失敗を一時的に緩和すること

──それは小さいが、確かに「人間的」な仕事です。


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