なぜ日本の現場では“正しい理論”が苦しくなるのか。
Ⅰ.ハーバーマスは日本でなぜ根づかないか
――「語ること」が前提になっていない社会
結論から言います。
ハーバーマスは、日本では「倫理」ではなく
「しつけ」や「圧力」に化けやすい。
理由は文化ではなく、社会構造です。
1.ハーバーマスが暗黙に前提しているもの
彼の理論は、次を前提にしています。
- 異議申し立てが
- 正当で
- 安全で
- 報復されない
- 発話が
- 個人の権利として
- 守られている
- 沈黙は
- 一時的選択であって
- 評価を下げない
これは公共圏が制度として存在する社会です。
2.日本では何が起きるか
日本では、
- 発話は
- 権利ではなく
- 役割
- 意見は
- 表明ではなく
- 空気調整
その結果、
「ちゃんと説明せよ」
が
「空気を乱すな」
に変換される。
👉
ハーバーマス的対話は、
対話の強制になります。
3.「話せばよい」は暴力になる
- 話す能力がある人だけが残り
- 話せない人は
- 未熟
- 非協力的
- 問題あり
と評価される。
これは
- ハーバーマスの裏切り
- しかし日本では構造的必然
Ⅱ.ルーマン × ハーバーマス
――臨床家はどう使い分けるか
ここが実践の核心です。
1.二人は「敵」ではない
臨床家にとって、
- ハーバーマス=規範
- ルーマン=観察
です。
混ぜると壊れます。
切り替えるのがコツ。
2.ルーマンを使う場面
次のときは、まずルーマンです。
- なぜ話が通じないか
- なぜ善意が空回りするか
- なぜ希望が命令になるか
ルーマンは言います。
「それは失敗ではない。
システムがそう動いているだけだ」
👉
これは臨床家自身を守ります。
3.ハーバーマスを使う場面
一方、次の瞬間にはハーバーマスが必要です。
- それでも対話を諦めたくない
- 説明しないまま決めたくない
- 権力差を最小化したい
ここで彼は言う。
「完全でなくても、
理由を述べ合う価値はある」
👉
これは踏みとどまる理由になります。
4.臨床家の実践的スイッチ
実践的には、こうです。
- うまくいかないとき:
- ルーマンで脱人格化
- それでも関わるとき:
- ハーバーマスで再人格化
これは冷酷と希望の往復運動です。
Ⅲ.「沈黙の倫理」を
ハーバーマスからどう補正するか
ここが一番、創造的な部分です。
1.ハーバーマスの弱点
ハーバーマスは、
- 発話
- 論証
- 反論
に強く、
沈黙をほぼ扱えない。
沈黙は彼にとって
- 一時的障害
- いずれ解消されるもの
しかし日本の臨床では違う。
2.沈黙は「拒否」ではない
日本的文脈での沈黙は、
- 抵抗
- 防衛
- 保留
- 関係維持
であることが多い。
👉
沈黙はコミュニケーションの失敗ではなく、
一つの形式です。
3.沈黙を含む対話概念へ
ここで、ハーバーマスをこう補正します。
補正原理
- 発話可能性だけでなく
発話不要性も尊重する - 合意の前に
保留の合意を置く - 説明責任に
説明しない自由を含める
これはハーバーマスを否定していません。
彼の理想を、
壊れにくくしている
だけです。
4.臨床的「沈黙の倫理」
臨床家が守る倫理は、こう言い換えられます。
- 話させない
- しかし、話せなくしない
- 沈黙を
- 問題視しない
- しかし排除もしない
これは
- ルーマン的観察
- ハーバーマス的尊厳
の交差点です。
結語
――語られないものを、切り捨てないために
ハーバーマスは、
- 日本では根づきにくい
- しかし不要ではない
むしろ、
ルーマンで冷却し、
ハーバーマスで踏みとどまる
この二重運動がないと、
日本の臨床は
- 理想主義で燃え尽きるか
- 冷笑主義で壊れるか
どちらかになります。
