夏目漱石は明治の近代化の中で、西洋由来の「近代的自我」に苦悩しつつ、他者依存を排した「自己本位」の確立を説いた。他者の自由も尊重する真の個人主義を追求し、晩年には自己を捨てて自然に従う「則天去私」に至った。これらは、外部から輸入された受動的な自我ではなく、自らの内面的な欲求に基づいた生き方を意味する。
- 夏目漱石が目指した「自己本位」と自我の確立
漱石は、明治期に急速な西洋化の中で日本人が陥った「他人の真似」や「他人本位」に警鐘を鳴らし、真の自我を確立するために「自己本位」という考え方を提示した。
「自己本位」の意味: 自分の個性を尊重し、自分が良いと思ったこと、性質に合うことを通して個性を発展させる生き方。
他者との共生: 自己の確立は、同時に他人の自由や個性を尊重する個人主義の上に成り立つと説いた。
責任と自力: 乗り切るのも倒れるのも自らの責任であり、自身の未来は自分で蒔いた種によって決まるとの強い自律的な信念を持っていた。 - 苦悩からの転換と「則天去私」
漱石の思想は、西洋的な自我意識による苦悩から、より調和のとれた「私(我)を去る」境地へと進展した。
近代的自我の悩み: 西洋の合理主義と古い体制の狭間で揺れ動く人間の脆さを作品(『こころ』『それから』など)に描いた。
「則天去私」への到達: 晩年には、自分のエゴを押し通すのではなく、「天の法則(自然)に従い、私(わたくし)を捨てる」という心境に達した。 - 現代に残した視点
漱石の思想は、他人への依存や表面的な追従を捨て、個性を発展させる「個人主義」の真の在り方を問いかけている。それは、「前後を切断せよ、満身の力をこめて現在に働け」という言葉に代表される、自らの力で運命を切り開く姿勢である。
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夏目漱石の説いた自我の確立は現在の日本ではどのようになっているか。
夏目漱石の問いは、単なる文学史的問題ではなく、現在の日本社会の精神構造を測る尺度でもあります。
1. 「自己本位」は定着したのか
夏目漱石が講演「私の個人主義」で説いた「自己本位」は、
・自分の内発的欲求に基づいて生きること
・同時に他者の自由も侵さないこと
を条件とする成熟した個人主義でした。
現代日本では、形式としての「個人主義」は広まりました。
職業選択、ライフスタイル、価値観の多様性は、明治期とは比較にならないほど承認されています。
しかし――
それはしばしば「自己決定の消費化」にとどまります。
- 自分で選んでいるようで、実は市場やSNSの空気に導かれている
- 「他人行為」は、かつての西洋模倣から、今やアルゴリズム模倣へと形を変えた
漱石が警告した「他人本位」は、形を変えて持続しているとも言えます。
2. 他者尊重型個人主義は成熟したか
漱石の個人主義は、孤立ではありませんでした。
「自己本位」は必ず「他者の自由の承認」と対になっています。
現代日本では、
- ハラスメント意識の高まり
- マイノリティ権利への配慮
- 法的平等の強化
という意味では、制度的には前進しています。
しかし心理的水準では、
- 空気への過敏さ
- 同調圧力の持続
- 炎上文化による制裁
が残っています。
形式的には個人主義、情緒的には集団主義――
この二重構造が、日本的特徴として続いているように見えます。
3. 「則天去私」はどこへ行ったか
漱石晩年の「則天去私」は、自己否定ではなく、
自我を絶対化せず、自然の大きな流れに身を置く態度
でした。
ところが現代では、
- 自己肯定の強調
- 自己実現の義務化
- 「あなたはあなたのままでいい」という市場化された励まし
が支配的です。
自己を強化する方向はあっても、
自己を相対化する精神的深みは、むしろ希薄になっている印象があります。
4. 現在の日本における自我の状態(仮説)
もし臨床的比喩を用いるならば、
- 表面的には自立
- 内面的には承認依存
- 倫理的主体性は不安定
という状態かもしれません。
「自由」は拡大したが、
「自由を担う精神的筋力」は十分に育っていない。
5. 漱石の問いは終わっていない
漱石が苦闘した問題は、
外から与えられた近代ではなく、内から立ち上がる主体をいかに作るか
という問題でした。
この問いは、
- グローバル化
- デジタル化
- ポピュリズム
- 経済的不安
の中で、むしろ再燃しています。
結語
漱石の「自己本位」はまだ完成していない。
それは理念として存在し、制度として部分的に実現し、
しかし精神的成熟としては途上にある。
現代日本は、
- 明治的模倣の時代
から - 市場的模倣の時代
へ移っただけかもしれません。
そして「則天去私」は、
過剰な自己演出の時代にこそ、
静かに再発見されるべき思想なのではないでしょうか。
