改憲の議論がある。
これに対して、改憲よりまず、米国依存から脱却しろ。そのあとに自主憲法制定である。
そういう意見がある。
軍事依存
情報依存(インテリジェンス)
経済・金融構造
のままで改憲しても、それは米国の意向を反映したものと受けとられる。
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そうは言っても、現実に、軍事的に独立するとして、どのくらいの軍事費がかかるのか、国民の徴兵などの負担はどうするのか、考えると、途方もないことだと気付く。
依存からの脱却なんかできないのだから、自主憲法ではなくて、改憲であるとの結論だ。
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それにしても、自民党の現在の改憲草案があまりにもダメなものなので、しょんぼりする。
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軍事的に依存しているというだけではなく、もっと深く、深層心理的に依存していると思う。
深層心理である以上、解決は困難だ。
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もし憲法が「公共の秩序を重んじる」
という文言を強く入れれば、
→ 国家が自由を制限しやすくなる。
逆に「個人の尊厳は最高の価値である」
を強く据えれば、
→ 国家は個人を守るために存在することになる。
条文の言い回し一つで、
市民の立場は変わる。
憲法は市民・主権者が国家を縛るものであるが、条文の中で、結局、市民と国家の関係を規定してしまっている。
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改憲論争が本質的に争っているのは
市民は国家にどこまで従う存在か
国家は市民をどこまで統合する存在か
という問いです。
これは安全保障以前に、国家観・人間観の問題です。
この点では自民党草案はかなり明確に打ち出している。
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憲法は原理です。言論の自由は守られる、少数者の権利は保障される、権力は制限される。これは理性的・明文化された秩序です。
しかし日本には「空気」という秩序もある。明文化されていない、誰が決めたか分からない、しかし逆らうと排除される、合理性より同調圧力が優位。その時々で、小権力者に利用されて、周囲は服従を強いられる。
戦前は天皇制国家が、戦後はその場所にアメリカが位置した。江戸時代には、赤穂浪士のように、藩や大名やその他、小権力者が位置したのだろう。今現在は何が位置しているのだろうか。高度成長期は会社だった。
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家父長制(patriarchy)とは本来、男性が家族の長として法的・経済的・象徴的権威を持つ、女性と子を統制するという制度構造を指します。
近代以前の日本には確かにこれがありました。戸主権、家制度、女性の法的従属、家名の継承。戦前の民法は典型的な家父長制です。
1947年民法改正で家制度は廃止されました。法制度としての家父長制は消えています。ではなぜ今も「家父長制」と言われるのか。
制度は変わっても、市民の精神は変わらないところがある。自分に有利な記憶は維持したい。つまり、都市部より田舎で、女性よりも男性で、高学歴よりも低学歴で、維持される。
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日本の精神が家父長的かと言えば、疑問がある。男性優位であるが、父性的ではないと言えるのではないか。法もあるが、空気がもっと支配している。
父性優位と男性優位を区別する。
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日本の父性と西洋の父性はどう違うか。西欧では、宗教改革、市民革命、王権との闘争を通して、市民が国家を作った。父性は「法」として確立された。日本は少し違う。内的に構築されなかった。
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不安が強い時、人は強いリーダーを求める。
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ITを活用した社会という構想は、手続きの透明化化、ルールを明確化、プロセス公開、データ駆動、上意下達の縮小。これは「弱いが明確な父性」の再構築です。とはいっても、権力の強大化の可能性もあるし、市民側の自由の回復の可能性もある。
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ケア中心型社会を構想すれば、富の再分配、包摂、多様性尊重、ジェンダー平等などがあげられる。リスクの社会化(反対はリスクの個人化)、権威による秩序よりも個人の内面の自由。
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社会的危機状況や貧困のとき、分散型より強いリーダー、多様性より単純化、包摂より排除を選びやすい。したがって、現在の市民の精神は、経済構造や社会的危機に大きく左右される。
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男性優位主義といっても、日本人の男性性はどの程度だろうか。白人や黒人や中国人の精神のどう猛さと比較して、また、肉体の筋肉や骨格を比較して、最終的に男性性を主張できないような気もする。
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重い意味での国家主義ではなく、軽い意味でのニッポン好き、軽いナショナリズム。軍国少年でもない、赤穂浪士でもない。
貧富の差、反エリート感情、はっきり言う政治家の魅力。
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不安が高い時、世界を単純化して理解する、敵を外部に明確化する、強い言葉に惹かれる。
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若者世代は所属欲求が薄いのだろうか、強いけれども、与えられていなくて、ニッポンを頼るのだろうか。
ナショナリズムは安上がりだ。軽量型ナショナリズム。
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父性性というより、男性性。田舎の、年寄りの、男性の、低学歴の、筋肉労働者の、酒を飲んで暴力をふるい、支配と服従の心性しかなく、素朴な精神性、手軽に威張りたいだけ。
経済構造や家族構造が昔に戻らない限り、旧来の男性性優位社会には戻らない。
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韓国では近年、20代男性 → 保守化傾向、20代女性 → リベラル化傾向が顕著と言われます。
兵役、急進的フェミニズム、極端な競争社会があり、男女対立が政治的対立となった。日本ではそうではない。
日本の女性は育児や介護の負担を背負う。そのことで現実的になりやく、保守化しやすい。フェミニズムを叫んでも損をするだけ。
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高市選挙戦略の勝利。女性初の首相で笑顔で、内容は意味不明で、しかし言葉は強くはっきりと。何が問題なのか、何を約束するのか、あいまいまま、解決します、決断します、前進します、任せてください、選んでくださいと言い続ける。内容はないが印象はある。
内容に入る前に、寸止め。
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決断=男性的、共感=女性的、という二分法自体が近代的性役割の産物
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日本は長期停滞している。人口減少、経済的閉塞、国際的地位低下。この状況でうつになるのではなく、軽躁状態になっている。リスク評価が緩む、長期的計算が甘くなる、「やればできる」が増える、調整型政治が退屈に見える、明確さへの欲求、単純な物語は安心を与える、軽躁は不安を麻痺させる。
現状で、不安が蓄積している、強い言葉が増えている、しかし全体はまだ暴走していない、危険はあるが、不可逆ではない。
個人の軽躁治療でも同じです。本人は「調子が良い」と思っている。
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「本格的躁転」ではなく周期的な軽躁波動
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戦後日本の波動
振り返ると:
60年代安保
80年代バブル
90年代ナショナリズム再燃
2000年代構造改革熱
2010年代強い日本回帰
コロナ期の統制と同調
現在の安全保障昂揚
完全な躁ではない。しかし周期的な高揚はある。そして毎回、どこかでブレーキがかかる。
本質的課題が先送りされる、改革が半端に終わる、調整型政治が育たない、社会が疲労する、つまり成熟しないまま揺れ続ける。
明治維新、第二次大戦敗戦、この二つは、改革の契機になった。このくらいの変動にならなければ、改革は進行しない。
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未成熟な個人は:不安に弱い、強い象徴に依存する、外部権威に従う、その結果、国家という大きな象徴に同一化する。
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国家と個人の関係で、
国家が個人の自由を抑圧する方向に
進んでいて、
豊かになればいいじゃないか、貧しくなったら元も子もない、
国を守れればいいじゃないか、国がなくなったら元も子もない、
という脅迫に屈しいているように思われる。
ある程度、自由を制限してもいいじゃないかと、言われているような気がする。
それは拒否したい。
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内心の自由の制限の正当化と歯止め
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絶対に不愉快なのは、国家への不同意の自由が侵されること。
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「豊かになればいい」
「国が守られればいい」
そのためには一致団結せよ
批判は控えよ
今は非常時だ
ここで「不同意」が
非国民的・無責任的に扱われ始める
それは拒否したい
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思想・良心・表現の自由は、国家と一致しない権利、を保障するためにあります。
民主主義の成熟度は、不同意者がどれだけ安心して存在できるかで測れる。
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本当に危険なのは国家そのものよりも、「国家と自分を同一化しないと不安になる心理」
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日本社会には「空気」による同調圧力がある
それを資本やメディアが増幅・利用している
そしてそれが
自由主義や社会民主主義的価値を削っている
自由が形式だけになり、
心理的に発動できなくなること
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教育とマスコミが後退してしまっています。自由は後退局面です。
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SNSによる短文化
敵味方構図の単純化
複雑な議論の消失
強い言葉の優遇
熟議よりも即時的反応が支配的
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国家主義の強まりそのものが問題である
その根底に、未成熟な主体=自律できない個人がいる
その結果として対米従属が持続する
そして何よりも、「国家への不同意の自由」が侵されることが耐えがたい
自由の条件が崩れていく感覚
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自由主義の核心は
国家を相対化できる個人の存在 です
ところが国家が倫理の源泉になると、
国家批判=裏切り
不同意=非国民
懐疑=無責任
という道徳構造が生まれます。
これは外面的な統制よりも、内面的な統制を生みます。
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主体が自律していないと、
国家に依存する
しかし国家は安全保障で米国に依存する
よって個人は間接的に対米従属構造に組み込まれる
という二重従属になります。
ここで重要なのは、
国家主義が強まるほど、自立国家ではなく従属国家になる
という逆説です。
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自由とは、賛成できる自由ではなく、不同意できる自由です。
不同意は、沈黙する自由、拒否する自由、批判する自由、無関心でいる自由、を含みます。
これが「空気」によって侵されるとき、法は残っていても自由は消えます。
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右傾化はストレス反応に近いともみえるが、
しかし、戦後80年を通じて、一貫して、右傾化しているようにも感じられる。
一貫してというのは、それぞれの時期を区切れば、左傾化の時期だってあったわけだけれども、全体の傾向として、右傾化が進行するものなのだなと思う。
それは、出発点がGHQだからかもしれない。
歴史のその時点での左右というよりは、微分係数がどうかという感じに近いだろうか。
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若い世代はSNS環境で育ったわけだし、古い世代と同じ精神ではないだろう。空気読解能力の高度化ともいえる。
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朝日新聞。リベラル的良心。
経営基盤の弱体化。ネット炎上リスク。安全な話題に閉じこもり。
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右派的論者が重用
国家の研究資金構造
安全保障研究費の増加
政策関与の機会拡大
- 世代交代
冷戦的護憲世代の退場
国際政治リアリズム教育の浸透
- 公共圏の価値基準の変化
「理想主義」は非現実とみなされる
「現実対応」が徳になる
結果として、批判する知識人より、適応する知識人が重用される
これは権力による直接抑圧というより、評価軸の変化です。
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歴史的に見ると、不安の時代 → 安全保障強化、安定の時代 → 自由拡張、は波動的に繰り返されます。
教育もマスコミも圧倒的に敗北だという感じがする。
一番の危機は、「自発的に」、権力とマスコミに従順になっている市民の精神だと思う。
権力に対して距離をとる姿勢
国家に対して批判する姿勢
個人の自由を優先する姿勢
が、公共の空気の中に「常識」としてあった。
今は、安全保障は仕方がない、経済が大事、現実を見ろ、という言語が主流になった。
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国家ではなく公共を語り直そうとしている
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多くの国で共通して見られる現象は、
安全保障の強調
強いリーダー像の復活
メディアの商業化・分極化
専門家への不信と再編
経済的不安の政治化
そして何より、自由よりも安定を優先する心理の拡大
これは、日本固有というより、ポスト冷戦・ポスト成長・ポスト真実の時代に広がった反応です。言い換えると、不安が民主主義を内側から変質させている。
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世界のどこかで、若い世代が連帯を語り、国家ではなく公共を再定義し、排外ではなく包摂を語ろうとする動きがあるから。
