法的な平等(形式的平等)と生物学的な差異(実質的不平等)のギャップ

男女平等は進行しつつある。
しかし結局、妊娠出産は女性が担うしかない。
その場合、女性が、「妊娠出産しても、仕事しても、同じくらいの負担だな、損も得もないな」と感じるような、社会的合意が得られる社会の仕組みはどのようなものが考えられるか。


日本では、憲法でも民法でも、男女同権である。学校教育も共学で、差別はない。ところが、妊娠出産になると、これは生物学的に、女性の負担が高くなり、どうしようもない「違い」が生じる。それを、差別にならないようにするのが法制度であるが、十分とは言えない。育休制度などもあり、補ってはいるものの、生物学的差異による違いは出てしまう。なんとか平等を実現したいのだが、妊娠出産子育てに関してどのようにすれば実質的平等を実現できるのか、分からない。どうすれば補いができるのだろうか。

法的な平等(形式的平等)と生物学的な差異(実質的不平等)のギャップは、現代社会が抱える最も困難で重要な課題の一つです。

憲法や民法が「平等」を掲げても、妊娠・出産・授乳という身体的プロセスを男性が代わることは現在の科学では不可能です。この「生物学的な非対称性」を前提とした上で、いかにして「結果の平等」や「機会の平等」を実現するか。

この問題を解決するための考え方を、いくつかの柱に分けて整理してみます。

1. 「平等」から「公平(エクイティ)」へのパラダイムシフト

まず、「全員を同じに扱うこと(平等)」ではなく、「スタートラインの差を埋めるために必要なリソースを個別に提供すること(公平/エクイティ)」へと発想を切り替える必要があります。

  • 身体的負担の金銭的・制度的補償: 妊娠・出産による身体へのダメージやキャリアの空白は、単なる「休み」ではなく「社会存続のための貢献」とみなすべきです。例えば、出産後の女性に対する年金加算、所得補償のさらなる引き上げ、医療費の完全無償化など、生物学的負担を社会全体で買い取る(コストを共同化する)仕組みが強化されるべきです。

2. 「育児」と「出産」の分離

妊娠・出産は生物学的なものですが、「育児」の大部分は社会的な営みです。
現在、この二つが「母親」という一つの身体にセットで押し付けられていることが不平等の根源です。

  • 男性の義務的な育休と「当事者化」: 男性が「手伝う」のではなく、産後直後から主戦力として育児を担うことで、女性の負担を物理的に軽減できます。北欧諸国のように、男性が一定期間育休を取らないと給付金が消滅する「パパ・クォータ制」をより強力に進め、育児スキルを男女で共有することが不可欠です。

3. 「働き方」の標準モデルの破壊

これまでの社会は、「家庭に専念する配偶者がいる、長時間労働可能な労働者(主に男性)」をモデルに設計されてきました。このモデル自体が、生物学的な制約を持つ女性を排除する仕組みになっています。

  • 「ケア」を前提とした労働慣行: 「フルタイム=週40時間+残業」という前提を壊し、男女問わず、誰もが「ケア(育児や介護)」をしながら働くことを標準とする社会設計が必要です。短時間勤務でもキャリアが停滞しない「ジョブ型雇用」の浸透や、評価基準の転換が求められます。

4. 外注化と社会化(「家庭」から「社会」へ)

「子育ては親(特に母親)がするもの」という規範を緩めることです。

  • 家事・育児サービスの公共化: ベビーシッターや家事代行、病児保育などが、富裕層の贅沢ではなく、水道や電気のような「公共インフラ」として安価(あるいは無料)で提供されるべきです。母親の身体を空けるための物理的なサポートを社会が提供することで、生物学的差異による拘束時間を短縮できます。

5. 「マザーフッド・ペナルティ」の解消

統計的に、子供を持つ女性の賃金が下がる「母親罰(Motherhood Penalty)」が存在します。

  • キャリアの連続性の保証: 産休・育休明けの昇進遅れを法律で厳格に禁止するだけでなく、復職後のスキルアップ支援(リスキリング)を公費で賄うなど、生物学的なイベントが経済的損失に直結しない仕組みが必要です。

結論としてどう考えるか

平等を実現するためには、「女性に男性と同じように働け」と言うのではなく、「社会の仕組みを女性の生物学的現実に合わせる」という逆転の発想が必要です。

妊娠・出産は「女性個人の問題」ではなく、「次世代の社会を生産する公共事業」です。その公共事業に伴う身体的リスクと時間的損失を、女性一人に負わせている現在の構造は、制度的な欠陥です。

  1. 物理的・身体的負担 → テクノロジーと社会サービスで徹底的に軽減する。
  2. 経済的・キャリア的負担 → 制度と法律で、男性や社会全体が肩代わり・補償する。

このように、「生物学的な違い」が生む「社会的・経済的な不利益」をゼロに近づけていくプロセスこそが、私たちが目指すべき「平等」の形ではないでしょうか。

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