中国の科挙官僚(士大夫)たちが持っていた「君、君たらざれば去る」という、ある種クールで、突き放したような行動原則。これは日本の武士道的な「死を賭した忠誠」を見慣れた目からすると、確かにおっしゃる通り「淡白で、ニヒルで、無責任」に見えます。
しかし、精神分析的、あるいは思想史的な観点から深掘りすると、この「去る」という行為の背後には、日本人よりもはるかに強固に「内在化された超越者(道・天)」が存在しています。
なぜ彼らがそれほどまでに「クール」になれたのか、その構造を詳しく解説します。
1. 「道」という絶対基準:君主は「代理人」に過ぎない
中国の知識人にとっての最高価値(超越者)は「道(タオ)」、あるいは「天」でした。彼らにとって、地上にいる君主(皇帝)は「天命」を受けて一時的にその場を預かっている「天の代理人」に過ぎません。
- 日本の場合: 「君主=超越者(あるいはその直系)」であり、垂直の軸が地上に固定されています。そのため、君主を否定することは自己の存在基盤を失うことを意味します。
- 中国の場合: 「道(超越者)> 君主(現実)」という序列が極めて明確です。
知識人は、科挙という過酷な試験を勝ち抜く過程で、この「道」を徹底的に内面化します。彼らにとっての忠誠の対象は「目の前の君主」ではなく「内なる道」です。君主が「道」に外れた行動をとったとき、知識人は「内なる道」に従って君主を見限ります。これが「君、君たらざれば去る」の論理的根拠です。
2. 「出処進退」の美学:執着しないというニヒリズム
中国の知識人には「出処進退(しゅっしょしんたい)」という言葉があります。社会に出て仕えるべきか(出)、身を引いて隠棲すべきか(処)を自分で決めるという美学です。
孔子自身が『論語』の中でこう述べています。
「天下に道あれば則ち現れ、道なければ則ち隠る」
(世の中に正しい道が行われているなら役人として働き、道が乱れているなら隠れて暮らせ)
ここにあるのは、「自分の才能を、価値のない君主に切り売りしない」という徹底したプライドです。彼らにとって、不当な君主に仕え続けることは、自己の「内なる道」を汚すことであり、倫理的な「自己喪失」を意味します。
この「去る」という選択は、日本的な目線では「責任放棄」に見えますが、彼らの論理では「道に対する最高度の責任」なのです。
3. 孟子の「放伐」論:君主は「一夫(独り者)」になる
さらにこの冷徹さを理論武装したのが孟子です。孟子は、民を虐げる君主はもはや君主ではなく、ただの「独り者(一夫)」に過ぎないと断じました。
「君が臣を草芥(くさ、ごみ)のように扱うなら、臣は君を仇寇(かたき、敵)のように扱う」
この「双務契約」的な感覚は、極めて現代的でドライです。知識人と君主の関係は、あくまで「道」という価値を共有するパートナーシップであり、その契約が破綻した以上、そこに留まる理由は一滴も残っていない。この「未練のなさ」が、日本的な「情の倫理」から見るとニヒルに映るのです。
4. 精神分析的解釈:強力な「超自我」と「対象喪失」への耐性
精神分析的に見れば、中国の科挙知識人は、「父(法・道)」を完璧に内面化(内在化)しています。
- 超自我の強固さ: 彼らの超自我は「古典(経典)」によって形作られており、現実の父親や君主よりも遥かに強力です。そのため、現実の君主を失っても、内面の「道」という支えがあるため、精神的な崩壊(自己喪失)を起こしません。
- 分離の達成: 彼らは「君主=自分の一部」という融合状態(アメーバ的な一体感)から完全に分離しています。君主を「交換可能な機能」として見ているため、対象(君主)を喪失しても、淡々と次の行動(隠棲や別の主君)に移れるのです。
これが、丸山眞男が日本の武士道に見出した「人格的・情緒的・固着的」な忠誠(心中するようなドロドロとした関係)との決定的な違いです。
5. 「無責任」の正体:国家よりも「自己の完成」
彼らが「去る」ことができるもう一つの理由は、彼らのアイデンティティが「国家」ではなく「文化(文)」に置かれているからです。
「この国(王朝)が滅びても、私の守る道(古典・文化)は滅びない」という確信があるため、王朝の興亡に対して驚くほどクールです。これを「無責任」と呼ぶこともできますが、言い換えれば「国家という枠組みに魂を売り渡さない」という究極の個人主義(自己本位の極致)でもあります。
結論:なぜ日本人は「去る」ことができなかったのか
日本において、この中国的な「淡白な去り方」が定着しなかったのは、以下の理由によります。
- 「道」が独立していなかった: 日本では「道」と「君(天皇・主君)」が未分化であり、主君を去ることは「道」そのものから脱落することを意味した(浪人・落武者という社会的死)。
- 逃げ場(隠棲先)の不在: 中国には広大な国土と「隠者」という社会的ステータスがありましたが、狭い島国日本には「世間」の外側が事実上存在しませんでした。
- 情動的な一体感の重視: 理論(ロゴス)よりも情緒(パトス)による結合が美徳とされたため、ドライな「契約解消」は「裏切り」という重い烙印を押されました。
科挙知識人の「ニヒリズム」は、実は「徹底的に自律した、孤独な超越者の内在化」の結果でした。それは、我々日本人が近代化の過程でついに手にすることができなかった、「外部のいかなる権威(国家すら)も信じない、内なる審判官」の強さの裏返しだったとも言えるのです。
