第十一章 内的超越者と深層心理学
――超自我・自己・存在論的超越の統合理論――
第一節 内的超越者と超自我――フロイト
本論文で論じてきた「内的超越者」は、精神分析理論において最も近接する構造として超自我(Über-Ich)に対応する。
フロイトによれば、超自我は外部の権威、特に父親の内在化によって形成される。
超自我は単なる記憶ではない。
それは人格内部における命令主体である。
超自我は命じる。
禁止する。
裁く。
ここで重要なのは、超自我が「他者でありながら自己の内部に存在する」という逆説的構造を持つことである。
これはまさに内的超越者の定義と一致する。
しかし、超自我には二つの形態が存在する。
第一は病理的超自我である。
これは外部権威の単純な内在化であり、人格を拘束する。
第二は理想的超自我である。
これは倫理的理想として機能する。
後者は単なる抑圧機構ではなく、人格の統合中心として機能する。
ここにおいて超自我は単なる抑圧装置ではなく、主体の成立条件となる。
第二節 ユングにおける自己(Self)――超自我を超える中心
ユングは、フロイトの超自我概念をさらに発展させ、「自己(Self)」の概念を提示した。
自己は人格の中心であると同時に、人格を超えた全体性である。
ユングにおいて自己は、
人格の内部に存在するが、
人格を超えた存在である。
この構造は宗教的伝統において神として経験される。
ユングは述べる。
「神の像は心の中に存在する」
ここで神は外部存在ではなく、心理学的実在である。
このとき神とは、内的超越者の象徴である。
ユングにおける個性化過程とは、
自我が自己に従う過程である。
これは忠節の内在化の心理学的表現である。
第三節 ビンスワンガーにおける超越――存在構造としての超越
ビンスワンガーは精神医学に存在論を導入した。
彼において人間存在(Dasein)は本質的に超越的である。
ここでいう超越とは、
存在が常に自己を超えていることを意味する。
人間は単なる現在の存在ではない。
人間は可能性として存在する。
この可能性の中心が、内的超越者である。
精神病理においては、この構造が破綻する。
統合失調症においては、
内的超越者が外在化する。
すなわち、
内的権威が外部の声として経験される。
これは内的超越構造の崩壊である。
第四節 ハイデガーにおける良心――存在の呼び声
ハイデガーは『存在と時間』において「良心」を分析した。
良心は道徳的規範ではない。
それは存在の呼び声である。
この呼び声は、
自己の内部から来るが、
自己を超えたものである。
ハイデガーは述べる。
良心は「私に属しながら、私ではない」。
これは内的超越者の最も正確な存在論的記述である。
良心は人格の内部に存在する超越者である。
第五節 人間学的精神療法における治療的意義
人間学的精神療法において、治療とは内的超越者との関係の回復である。
神経症においては、
内的超越者が抑圧的超自我として機能する。
統合失調症においては、
内的超越者が外在化する。
うつ病においては、
内的超越者が沈黙する。
治療とは、
内的超越者を再び人格の中心に統合する過程である。
これは単なる症状除去ではない。
それは主体の回復である。
第六節 主体とは何か――精神医学的定義
以上の考察から、主体は以下のように定義される。
主体とは、
内的超越者との関係において存在する人格である。
主体は単なる自律ではない。
主体は忠節である。
しかしその忠節は外部ではなく、
内部に向けられる。
主体とは、
内的超越者への忠節として存在する人格である。
結論 精神医学における内的超越者の意義
内的超越者は、
フロイトにおいては超自我であり、
ユングにおいては自己であり、
ビンスワンガーにおいては超越構造であり、
ハイデガーにおいては良心である。
これらは同一の構造の異なる記述である。
この構造は、
倫理の基盤であり、
宗教の基盤であり、
主体の基盤であり、
精神的健康の基盤である。
