ナッシール・ガエミ氏は、個別の疾患に対しても、従来の精神医学が持つ「ただ症状を抑える」という発想を超えた、非常に鋭く、時に批判的な洞察を行っています。
彼が特に深く掘り下げている、「躁うつ病(双極性障害)」「うつ病」「認知症」、そして**「ADHD」**に対する独自の視点を整理します。
1. 躁うつ病(双極性障害):病気ではなく「気質の延長」
ガエミ氏は、双極性障害を「正常な状態から突然病気になるもの」とは考えていません。
- 双極性スペクトラム: 彼は、非常にエネルギッシュな「高揚性気質(ハイパーサイミック)」と、病的な「躁状態」は連続していると考えます。
- 洞察: この疾患を持つ人は、脳の「エネルギー調節機能」が敏感すぎます。彼は、この敏感さこそが歴史を変えるリーダーシップや創造性の源泉であると説く一方で、その「代償」として激しいうつがやってくるのだと指摘します。
- 治療の核心: 「躁」を単に抑え込むのではなく、**「波の振幅を小さくして、本人の持つ創造性を維持しつつ破滅を防ぐ」**ことが真のゴールです。
2. うつ病:現代の「過剰診断」への警告
ガエミ氏は、現代精神医学において「うつ病」という言葉が乱用されていることに最も批判的です。
- 悲しみの医療化: 彼は、人間が喪失を経験したときに感じる「深い悲しみ」を、安易に「うつ病」という病名をつけて薬で消し去ることに反対しています。
- 洞察: 彼は、本当のうつ病(メランコリア)は**「脳の老化(萎縮)に似たプロセス」**であると見ています。一方で、人生の困難に対する「反応としてのうつ」は、人生の意味を問い直す大切なプロセスであり、医師が安易に介入してはいけない聖域であると考えています。
3. 認知症:精神医学の「最後のフロンティア」
ガエミ氏は、認知症(特にアルツハイマー病)を、気分の病(気分障害)の「成れの果て」の一つとして捉える視点を持っています。
- 気分障害と認知症のリンク: 長年、気分障害の波にさらされ続け、脳が慢性的な炎症とストレス(コルチゾール過剰)にさらされると、海馬が萎縮し、認知症のリスクが高まると指摘します。
- 洞察: だからこそ、彼は**「リチウムによる神経保護」**を強調します。認知症になってから対処するのではなく、20代・30代からの「気分の安定」こそが、最強の認知症予防策であるという予防精神医学的な洞察を持っています。
4. ADHD:現代社会が生んだ「誤診」の温床
近年、大人も子供もADHDの診断が急増していますが、ガエミ氏はここに強い懸念を示しています。
- 双極性との混同: 「注意散漫」「衝動性」「多動」というADHDの症状は、双極性障害の「軽躁状態」と酷似しています。
- 洞察: ガエミ氏は、**「ADHDと誤診されて刺激薬(コンサータやストラテラ等)を投与された双極性の患者が、気分を激しく乱されるケース」**を非常に多く目撃しています。彼は、ADHDと診断する前に、必ず徹底的に「気分の波(双極性)」の可能性を除外すべきだと主張します。
5. 総括:ガエミ氏が捉える「疾患」の本質
ガエミ氏の洞察に共通するのは、疾患を「単なる不運な故障」ではなく、**「進化の過程で人間が手に入れた『過敏な脳』が、現代社会という不自然な環境に適応できずに起こしている摩擦」**として見ている点です。
彼は、薬(リチウム)を使いつつも、最終的には**「その過敏な脳をどう飼い慣らし、その特性を人生のプラスに転換するか」**という実存的な問いを患者に投げかけます。
