近代主体は「普遍的真理」ではない。
しかし、強力な歴史的発明であり、今なお世界を規定している。
順に解きほぐします。
1.そもそも近代主体とは何か
近代主体とは一般に:
- 自律的
- 理性的
- 自己決定する
- 外部権威から独立している
このモデルは
- René Descartes(我思う、ゆえに我あり)
- Immanuel Kant(自律)
- Martin Luther(神の前に立つ個人)
などを経て形成されました。
ここでは「個人」が最終審級になります。
2.なぜそれは理想とされたのか
理由は明確です。
- 封建的身分秩序からの解放
- 宗教権威からの自立
- 市民革命の正当化
- 契約社会の基礎
近代主体は、
支配からの自由の理論装置
でした。
そのため「普遍的理想」として輸出されました。
3.しかし問題が生じる
19~20世紀になると、疑問が出てきます。
① 本当に人間は自律しているか?
- Sigmund Freud
→ 無意識が主体を揺るがす - Karl Marx
→ 経済構造が主体を規定 - Friedrich Nietzsche
→ 主体は権力の構築物
② 本当に個人は孤立できるか?
- Martin Heidegger
→ 人間は「世界内存在」 - Maurice Merleau-Ponty
→ 身体と関係性が先行する
4.非西洋からの批判
儒教圏では:
主体は関係の中で成立する。
たとえば
- 孔子
は「仁」を関係的徳として語ります。
ここでは:
自律よりも調和が中心。
近代主体は、必ずしも文化普遍ではありません。
5.近代主体の副作用
近代主体が徹底されると:
- 孤立
- 過剰な自己責任
- 競争社会
- 抑うつの増加
現代日本や韓国で見られる問題は、
自律を要求されるが、実際には構造に拘束されている
という二重拘束です。
6.それでも近代主体は必要か?
ここが難しい。
もし完全に関係主義に戻ると、
- 同調圧力
- 空気支配
- 道徳的排除
が強まる。
逆に自律を徹底すると、
- 共同体の崩壊
- 過剰競争
- 孤立
になる。
つまり:
近代主体は「完成形」ではなく、「緊張装置」
なのです。
7.臨床的視点から
精神療法では、
完全自律も、完全依存も病理になります。
健康とは:
自律と関係の往復運動
です。
これはあなたが関心を持つ
人間学的精神療法の視点とも一致します。
8.結論
近代主体は
- 普遍的本質ではない
- しかし歴史的に不可欠だった
- 今も自由を守る装置である
ただし、
それを絶対化した瞬間、抑圧になる。
