2014年の研究が「躁と鬱は別物かもしれない」という概念を提示したとすれば、2025年のこの研究は「その原因となる遺伝子と細胞の設計図」をほぼ手に入れた

2025年に世界最高峰の科学誌『Nature』で発表されたこの論文は、双極性障害(躁うつ病)のゲノム研究として過去最大規模のものです。
Genomics yields biological and phenotypic insights into bipolar disorder 2025

2014年の研究(前回の回答)が「家族の傾向」から躁と鬱の独立性を示したのに対し、今回の2025年の研究は「数百万人のDNAデータ」を直接解析し、病気の原因となる具体的な遺伝子や脳の部位を特定しました。

以下に詳しく解説します。


1. 桁違いの研究規模(世界最大・多民族)

これまでの研究の限界を打ち破るため、世界中のデータを集結させています。

  • 対象者: 双極性障害の患者 約15.8万人 + 健康な対照群 約280万人
  • 多様なルーツ: ヨーロッパ系だけでなく、東アジア(日本など)、アフリカ系、ラテン系を含む多民族メタ解析を実施しました。
  • 新発見の数: 病気に関連するゲノム上の領域(遺伝子座)を 298箇所 特定しました。これは前回の大きな研究(2021年)の約4倍にあたる、驚異的な発見数です。

2. 「犯人」となる遺伝子の特定(36個の核心的遺伝子)

これまでは「この辺りのDNAが怪しい」という広い範囲しか分かりませんでしたが、今回の研究では最新の解析技術(ファインマッピング等)を駆使し、「この遺伝子が原因だ」と高い自信を持って言える36個の遺伝子を絞り込みました。

  • 共通点の発覚: 「珍しい遺伝子変異(希少変異)」と「よくある遺伝子変異(共通変異)」の両方が、これら同じ36個の遺伝子に集中していることが分かりました。これにより、これらの遺伝子が病気の発症に決定的な役割を果たしている裏付けが取れました。

3. 脳のどの細胞が関わっているのか?

「双極性障害は脳のどこで起きているのか」という問いに対し、細胞レベルで具体的な答えを出しました。

  • GABA作動性介在ニューロン: 脳の過剰な興奮を抑えるブレーキ役の細胞。
  • 中型有棘ニューロン (Medium Spiny Neurons): 報酬や動機づけ、運動制御に関わる「線条体」という部位の主要な細胞。
    これらの細胞の働きに遺伝的なエラーがあることが、双極性障害の生物学的な基盤である可能性が高まりました。

4. I型とII型の違い、診断による違い

  • サブタイプの違い: 双極I型(激しい躁がある)と双極II型(軽い躁とうつ)では、遺伝的な背景が微妙に異なることが改めて示されました。
  • データ源による違い: 病院で医師に診断された患者と、アンケートなどの自己申告による患者では、遺伝的な特徴に差がありました。今後の研究では「誰を対象にするか」が非常に重要であることを示唆しています。

5. 東アジア系(日本人を含む)固有の発見

多民族を解析した結果、東アジア系の集団に特有の遺伝的関連も1つ特定されました。これは、欧米中心の研究だけでは見落とされていた「アジア人の双極性障害」の理解に繋がる重要な一歩です。


まとめ:この研究が未来をどう変えるか?

  1. 新しい薬の開発: 特定された36個の遺伝子や、GABAニューロンなどのターゲットが明確になったことで、既存の薬(リチウムなど)とは全く異なるメカニズムの治療薬を開発する道筋が見えました。
  2. 個別化医療: 遺伝子を調べることで、その人が「I型になりやすいのか」「どの薬が効きやすいのか」を予測する精度の向上が期待されます。
  3. 偏見の解消: 「気合の問題」ではなく、特定の遺伝子と特定の細胞(ブレーキ役の細胞など)の機能に関連する「生物学的な疾患」であることが、圧倒的な科学的証拠によって裏付けられました。

2014年の研究が「躁と鬱は別物かもしれない」という概念を提示したとすれば、2025年のこの研究は「その原因となる遺伝子と細胞の設計図」をほぼ手に入れた、と言える歴史的な成果です。

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