現代日本の社会保障政策が抱える「最大の矛盾」とも言えるものです。
政府が掲げる「全世代型社会保障」というスローガンの裏側で、実は「リスクの公共化(社会化)」から「リスクの家族化(個人化)」への逆行が起きているという懸念です。
「世代間公平」の美名の下で進む、リスクの「家族への押し付け」
現在、政府が進めている高齢者医療費の自己負担引き上げや、高額療養費の上限引き上げ、そして「施設から在宅へ」という介護方針の転換は、一見すると「現役世代の負担軽減」という正義に基づいているように見えます。しかし、その実態を深く考察すれば、それが現役世代(若者層)を真に救うどころか、むしろ彼らをより深刻な窮地に追い込む「危うい選択」であることが見えてきます。
1. 巧妙に利用される「世代間対立」のレトリック
政府が医療費削減の根拠として頻繁に持ち出すのが、「若者の負担を減らし、子育て支援に回す」という理屈です。これは一見、世代間の公平性を保つための配慮に見えます。しかし、リベラルな視点から言えば、これは「社会保障全体のパイを削る」ための言い訳として、世代間の対立を煽る装置として機能しています。本来、社会保障とは「国民全員が等しくリスクを分担する」ものであり、高齢者を切り捨てることで若者を救うという「ゼロサム・ゲーム」であってはなりません。
2. 公助の退潮が招く「介護の私事化」
医療や介護の自己負担が増え、入院期間が短縮されて「自宅での看取り」が推奨されるようになれば、何が起きるでしょうか。そのしわ寄せは、必然的にその家族、つまり政府が「負担を軽減する」と称している現役世代に直結します。
経済的な負担が増えるだけでなく、在宅介護による心身の疲弊、あるいは介護のために仕事を辞めざるを得ない「介護離職」のリスクが高まります。結局、現役世代は「保険料」という形での公的な負担がわずかに減ったとしても、それ以上に重い「私的なケアの責任と費用」を直接背負わされることになるのです。
子供のいない人はいますが、介護の必要な高齢者が身内に一人もいない人は少ないのではないでしょうか。
3. 「リスクの公共化」こそが近代社会の知恵である
本来、病気、老い、介護といった人生の不可避なリスクは、個人の努力や家族の愛情だけで解決できるものではありません。だからこそ、近代社会は「リスクを公共化(社会化)」し、税や保険料という形で全員で支え合う仕組みを構築してきました。
現在の政策は、この「公共化」の歴史を逆行させ、再びリスクを「家族」という閉ざされた空間に閉じ込めようとしています。これは「自助・共助」の強調と言えば聞こえは良いですが、実態は国家による「公助」の責任放棄に他なりません。
4. 持続不可能な「子育て支援」との矛盾
子育て支援のために高齢者福祉を削るというロジックも、長期的には破綻しています。自分の親の介護や医療費に追われ、将来の自分たちの老後に不安を抱える現役世代が、安心して子供を産み育てられるはずがありません。社会保障のセーフティネットがボロボロになればなるほど、人々は自己防衛のために貯蓄に励み、消費は冷え込み、社会全体の活力は失われていきます。
結論
今、私たちが直視すべきは、「高齢者 vs 若者」という偽りの対立構造ではなく、「国が社会保障の責任を個人に突き返そうとしている」という構造的な問題です。
リスクを再び「家族の絆」や「個人の財布」に押し付けることは、結果として家族を壊し、若者の未来を奪うことになります。真に持続可能な社会とは、弱者を切り捨てることで誰かを救う社会ではなく、誰もが人生のどの段階においても「社会に守られている」と実感できる、リスクの徹底した公共化を貫く社会であるはずです。
財政はどうするのかと言われそうですが、長い間に既得権益化してしまった各方面の補助金や税制優遇などの改革が必要です。明治維新や敗戦時のような改革が必要です。
