「教育勅語(きょういくちょくご)」は、近代日本の教育や道徳のあり方を決定づけた非常に重要な文書です。
1. 教育勅語の内容と歴史的位置づけ
おおよその内容
1890年(明治23年)に明治天皇の名で発布された、教育の根本方針を示した文書です。わずか315文字(漢字とカタカナ)の短文ですが、大きく分けて3つの構成になっています。
- 導入: 日本の国柄は、天皇の祖先が国を建て、国民が忠誠を尽くしてきた素晴らしいものだという説明。
- 12の徳目: 国民が守るべき道徳。
- 親孝行をする、兄弟仲良くする、夫婦和合する、友達を信じる、謙虚に振る舞う、広く人々を愛する、勉強や仕事に励む、知識を広め才能を磨く、人格を高める、公益を広め世の中に尽くす、憲法や法律を守る。
- 究極の目的: もし国家に危機が迫ったら、勇気を持って国のために尽くし(義勇奉公)、天皇を支えなさいという結び。
歴史的位置づけ
- 精神的支柱の確立: 明治維新後、日本は西洋化を急ぎましたが、一方で「日本の伝統的な道徳が失われる」という危機感も生まれました。そこで、西洋の近代的な仕組みと、日本古来の価値観をミックスさせた「国民の背骨」として作られました。
- 教育の神聖化: 学校教育において、教育勅語は「天皇からの神聖な言葉」として絶対視されました。校長先生がうやうやしく読み上げ、生徒はそれを聞くという儀式が定着し、道徳教育の頂点に君臨しました。
- 国民統合のツール: バラバラだった江戸時代の「藩」の意識を捨てさせ、「天皇を中心とする一つの国民(臣民)」としての意識を植え付ける役割を果たしました。
2. 戦後リベラルの立場からの批判
1945年の敗戦後、教育勅語は「日本を戦争へと突き進ませた精神的要因」として批判の対象となり、1948年に国会で排除・失効の決議がなされました。リベラルな立場(個人の自由や権利を重視する考え方)からは、主に以下の点が批判されます。
① 主権在民との矛盾
教育勅語は「天皇(主権者)が、臣民(家来としての国民)に与えた命令」という形式です。日本国憲法の「主権は国民にある」という大原則と真っ向から対立します。リベラルな視点では、道徳は権力者が押し付けるものではなく、市民が自ら考え、合意形成していくものだと考えます。
② 「徳目」の目的が国家への奉仕にある
リベラル派は、12の徳目そのもの(親孝行など)を否定しているわけではありません。問題視するのは、それらの美徳が最終的に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(戦争などの緊急事態には、命を捧げて国家に尽くせ)」という一点に回収されている点です。「親孝行をするのは、最終的に天皇のために死ねる立派な日本人になるためだ」というロジックは、個人の幸福よりも国家の利益を優先させる全体主義的思考であると批判されます。
③ 思想・良心の自由の侵害
教育勅語は、特定の道徳観を「唯一絶対の正解」として国民に強制しました。これは、憲法が保障する「何を信じ、どう考えるかは自由である(思想・良心の自由)」を脅かすものです。多様な価値観を認めるリベラリズムの立場からは、一つの文書を神聖視して暗唱を強いる教育は「洗脳」に近いものと映ります。
④ 封建的な人間関係の維持
内容に含まれる「夫婦和合」や「兄弟の秩序」などは、当時の家制度(男性・長男優位の家父長制)を前提としています。これは個人の尊厳や男女平等を重んじる現代的な価値観から見れば、古く、不平等な人間関係を固定化させるものと批判されます。
まとめ
- 歴史的には: 近代日本が「西洋に負けない強い国」を作るために、国民の精神を一つにまとめる「道徳の教科書」としての役割を果たしました。
- リベラルな批判としては: 「国家が個人の内面に介入し、戦争に協力させるための道具であった」と考えます。民主主義社会においては、道徳は押し付けられるものではなく、個人の自由な意思に基づかなければならない、という点が批判の核心です。
