いつまで働く

「60歳で定年を迎えたら、あとは悠々自適のセカンドライフが待っている」――。かつて当たり前のように描かれていたそんな人生設計が、今や過去のものとなりつつあります。定年を迎えたのち、再雇用を選択した男性の声から、「働き続けること」の真意について考えていきます。

60歳はゴールのはずだった…  「若いころは、60歳で定年を迎えたら仕事を辞めて、年金でのんびり過ごせるものだと思っていました」 そう語るのは、メーカー勤務の会社員・山田太郎さん(60歳・仮名)です。大学卒業後に現在の会社へ入社したのは、バブル経済真っ只中の1987年。それから40年弱、同じ会社で働き続けてきました。妻の花子さん(58歳・仮名)も、結婚や出産を経て正社員として働き続けています。

子どもが生まれた30代、月々12万円、30年返済の住宅ローンでマイホームを購入。2人の子どもを大学まで進学させ、教育費のピークも乗り越えました。共働きだったこともあり、世帯収入は安定していたといいます。

「正直、老後は何とかなると思っていました。退職金も年金もある。夫婦で働いてきたから大丈夫だろうと」

そして迎えた60歳。定年という節目に「これでひと区切りだ」という達成感を覚えたものの、現実は違いました。山田さんは再雇用を希望し、現在は同じ会社で契約社員として働いています。

現在の月収は28万円。定年を境に管理職から退いたことで、給与は半分以下になりました。仕事内容もバックオフィスでのサポート役に変わり、やりがいも半減したと吐露します。それでも「働かないという選択肢は、正直ありませんでした」と山田さんは語ります。

年金の支給開始までは、まだ5年ほどあります。住宅ローンもわずかながら残っています。さらに両親がともに健在で、将来の介護を考えると金銭的な援助が必要になるかもしれません。これまで蓄えに励んできた自負はありますが、老後への不安は消えません。

「昨今の物価高で生活費は大きく上がっています。ローンを完済しても家の維持費はかかりますし、それも想定以上になるでしょう。何もかもが値上がりする中で、年金だけで暮らしていけるのか。そう考えると、仕事を辞めるわけにはいきません」

老後不安ばかりが大きくなる状況に、「定年は通過点でしかなかった」と山田さんはため息をつきます。

「共働きなら老後は楽勝だと思っていたんですが……一体、いつまで働いたらいいんでしょうね」

働き続ける理由の根底にある「漠然とした不安」  

山田さんが就職した1987年、日本経済は円高不況を脱し、超低利政策を背景とした「バブル景気」が本格化していました。同年10月にはブラックマンデーに見舞われたものの、直後に立ち直る強さを見せていた時代です。「定年後は安泰」という価値観は、当時の社会背景から醸成されたものでしょう。

しかし、現代のデータは異なる現実を示しています。総務省『労働力調査(基本集計)』によると、60〜64歳の就業率は上昇を続け、2024年には74.3%と7割を超えました。65歳までの雇用確保や、70歳まで働ける継続雇用制度を導入する企業が3割以上に達していることが主な要因です。

一方で、人々の心理的な不安も見逃せません。金融経済教育推進機構『家計の金融行動に関する世論調査(2025年)』では、老後生活に「非常に不安を感じる」「やや不安を感じる」と答えた人は全体の約8割にのぼります。不安の理由として最も多いのは「十分な金融資産がないから」。次いで「年金や保険が十分ではないから」と続き、「生活の見通しが立たないほどの物価上昇」を懸念する声も3割を超えています。

厚生労働省『令和6年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況』によると、厚生年金の平均受給額は月15万289円。夫婦合わせても、現役時代の生活水準を維持するのは容易ではありません。さらに物価上昇分が年金の増額幅を上回り、実質的な目減りが続いていることも不安に拍車をかけています。

年金支給までの空白期間、残るローン、親の介護、そして自分たちの長い老後。数字を冷静に並べれば、「少しでも長く働く」という判断は賢明に見えます。しかし、そこにあるのは「働きたい」という意欲よりも、「辞めることが怖い」という切実な思いです。「十分」の基準が見えないからこそ、働き続けざるを得ない。その背景には、現代日本に蔓延する拭いきれない不安感が横たわっています。

健康なら働けばいいですが、働けない体で長生きをするとなると、いろいろと難しい。

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