弱者攻撃と躁うつ循環
――文明の気分障害仮説
1.社会は気分をもつ
個人が躁とうつを循環するように、
社会もまた集団的気分をもつ。
躁的局面では、
- 強さの礼賛
- 成長神話
- 勝者への同一化
- 弱さの否認
が支配的になる。
うつ的局面では、
- 無力感
- 罪責感
- 将来への悲観
- 攻撃の内向化
が広がる。
弱者攻撃は、実はこの両局面にまたがって存在する。
2.躁的局面における弱者攻撃
躁状態の本質は「全能感」と「否認」である。
精神医学的にいえば、躁では
- 自己の限界が見えなくなる
- 危険評価が低下する
- 他者の痛みに鈍感になる
社会が躁的になると、弱者は「足手まとい」に見える。
効率性、成果、競争が至上命令になると、
弱さは存在してはならないもの
となる。
ここで弱者攻撃は、
社会の躁的自己像を守るための防衛となる。
弱者は、社会の抑圧された「うつ」の部分を体現しているからだ。
3.うつ的局面における弱者攻撃
一方、社会がうつ的になるとどうなるか。
- 経済停滞
- 未来喪失感
- 失敗体験の累積
このとき攻撃は二方向に向かう。
① 内向き(自己責任化・自己否定)
② 外向き(スケープゴート化)
弱者攻撃は、
集団うつの外在化として起こる。
自分たちの無力感を直視できないとき、
それは「誰かのせい」に変換される。
4.DNA主義との再接続
躁うつ循環を脳主義やDNA主義の枠組みでいえば、こう整理できる。
- 躁=脳主義の肥大
- うつ=関係断絶による消耗
- DNA主義=循環を安定化させる協力構造
利他性は、社会の気分を安定化させる。
共感と支援が存在するとき、
躁の過剰も、うつの深化も抑制される。
つまり、
弱者を守ることは、社会の気分安定剤である。
5.精神分析との統合
躁は否認であり、
うつは罪責である。
メラニー・クラインは、
「妄想分裂ポジション」と「抑うつポジション」を区別した。
躁的社会は妄想分裂ポジションに近い。
- 善悪の二分
- 敵の創出
- 弱者の悪魔化
抑うつポジションに入ると、
- 他者も自分も不完全であることを受け入れる
- 修復への志向が生まれる
社会が成熟するとは、
抑うつポジションを保持できることである。
6.人間学的視点からの統合
人間は有限である。
この有限性を否認すると躁になる。
過度に内面化すると病的うつになる。
健全な状態とは、
弱さを前提にした関係性
である。
弱者攻撃は、
社会が躁に傾いているサインでもあり、
同時に深いうつの前触れでもある。
歴史的にも、
強さの礼賛が極端化した社会は、
やがて急速な崩壊や疲弊を経験している。
7.文明の処方箋
躁うつ循環を安定させる鍵は三つある。
① 弱さの可視化
② 恥の回復(攻撃の抑制装置)
③ 相互依存の承認
惻隠の心は、単なる道徳ではない。
それは社会の気分安定機構である。
結論
弱者をいじめる社会は、躁である。
しかしその躁は、深いうつの前触れでもある。
弱さを引き受けられる社会だけが、
循環を緩やかにできる。
人間は、強さによってではなく、
弱さを共有することによって生き延びてきた。
もし文明が生き延びるとすれば、
それは脳の即時的快楽ではなく、
関係を守る選択によってである。
