ご提示いただいたPDF資料は、2017年に『Current Neuropharmacology』誌に掲載された「Is Mania the Hypertension of the Mood? Discussion of A Hypothesis(躁病は気分の高血圧か? ある仮説の検討)」という論文です。
この論文は、あなたが以前に尋ねられた「Manic-first hypothesis(躁病先行仮説)」の提唱者であるアタナシオ・クコプロス(1931-2013)への追悼として書かれたもので、彼の「躁病こそが双極性障害の主目的である」という考えを、「高血圧症」との比較という斬新な視点から補強・解説しています。
論文要約:躁病は「気分の高血圧」か?
1. 中心となる仮説
本論文の核心は、「(軽)躁状態と本態性高血圧症は、生物学的背景、遺伝、性格、誘因、治療反応において驚くほどの共通点を持っており、躁病は『気分の高血圧』と呼べるのではないか」という仮説です。
クコプロスの「躁病先行仮説(躁病が主であり、うつ病はその反動に過ぎない)」に基づき、躁病を高血圧症と同じような「システムの過剰活動状態」として捉えています。
2. 高血圧と躁病の共通点(詳細解説)
論文では、以下の5つの観点から両者の類似性を指摘しています。
① 遺伝と生物学的背景
- 遺伝的共通性: 両疾患とも家族性に発症しやすく、近年のゲノム解析でも双極性障害と高血圧症の間には共通の遺伝的基盤があることが示唆されています。
- 神経伝達物質: 両者ともに、カテコールアミン系(ノルアドレナリンやドーパミン)の過剰活動が関与しています。これらが増加すると、血圧が上がると同時に、気分も高揚(躁状態)します。
② 性格と気質(Temperament)
- ハイパーサイミック(高揚気質): 常に活動的で、社交的で、睡眠時間が短くても平気な「高揚気質」の人(双極性障害の予備軍)は、統計的に高血圧症や心血管疾患になりやすいことが示されています。
- タイプA行動パターン: せっかちで攻撃的な「タイプA」性格は高血圧のリスクとして知られますが、これは双極性障害の「過敏・焦燥状態」と酷似しています。
③ 誘因(きっかけ)
- 心理的ストレス: 激しいストレスや睡眠不足は、血圧を急上昇させると同時に、躁状態を引き起こす強力なトリガーとなります。
- 薬物の影響: アンフェタミン(覚醒剤)やコカインなどの精神刺激薬は、血圧を上げると同時に躁状態を誘発します。
④ 治療薬の共通性(非常に重要な指摘)
- 降圧薬が躁病に効く: カルシウム拮抗薬(ベラパミルなど)、ベータ遮断薬(プロプラノロール)、中枢性交感神経抑制薬(クロニジン)、レセルピンといった高血圧の薬が、躁状態の治療に有効であるという報告が多数あります。
- 逆に「うつ」を招くリスク: かつての強力な降圧薬(レセルピンなど)は、血圧を下げすぎるのと同時に、副作用として「うつ状態」を引き起こすことがありました。これは「血圧を下げることが、気分の低下(うつ)を招く」という、この仮説を裏付ける現象です。
- 抗うつ薬の影響: 三環系抗うつ薬やSNRIは、血圧を上昇させる副作用がありますが、同時にこれらは「躁転(うつから躁へ切り替わること)」を最も起こしやすい薬でもあります。
⑤ 共病症(併発しやすさ)
- 双極性障害の患者は、単極性うつ病(いわゆる普通のうつ病)や統合失調症の患者に比べて、明らかに高血圧症を合併する率が高いことが統計的に証明されています。
3. クコプロス理論との結びつき
論文は、クコプロスが説いた「躁病こそが病気のエンジンである」という考えを支持しています。
- 高血圧が血管や心臓に負担をかけるように、躁状態(気分の高血圧)は脳の神経系に過剰な負担をかけ、その「疲弊」の結果として「うつ状態(虚脱)」がやってくるという解釈です。
4. 結論:臨床への示唆
- 双極性障害の治療において、「うつ」だけを見るのではなく、血圧や心血管系の健康状態にも注意を払うべきである。
- 「躁(興奮)」を抑えることは、血圧をコントロールするのと同様に、その後の致命的な合併症(うつ、自殺、心血管疾患)を防ぐために最も重要である。
この論文が持つ意味(まとめ)
この論文は、精神医学的な「躁病」を、単なる心の病気としてではなく、全身の血圧調節システムと深く関わる生物学的な「過興奮状態」として定義し直しています。
あなたが最初に探していた「躁病先行仮説」を、内科的な「高血圧症」というアナロジー(比喩)を使って、より科学的・多角的に説明した現代的なレビュー論文と言えます。この視点に立つと、「なぜ躁病の後に必ずうつが来るのか」が、「血圧が異常に上がった後に体が力尽きてダウンする」ようなものとして直感的に理解しやすくなります。
