2010年に発表されたMazzariniらによる論文『The ‘manic-first’ hypothesis of bipolar disorder(双極性障害の「躁病先行」仮説)』の要約と翻訳を以下にまとめます。
この論文は、イタリアの精神科医アタナシオ・クコプロス(Athanasios Koukopoulos)が提唱した理論に基づき、双極性障害の経過と治療のあり方を再定義する重要な内容です。
論文要約:双極性障害の「躁病先行」仮説
1. 背景と目的
双極性障害の経過には一定のパターンがあることが古くから指摘されてきました。本論文は、クコプロスが提唱した「MDI(躁病→うつ病→寛解)」という周期パターンに焦点を当て、「躁状態こそが双極性障害の主導的なプロセスであり、うつ状態はその結果として生じるものである」という仮説を検証することを目的としています。
2. 中心となる仮説:MDIパターン
著者らは、双極性障害の典型的なサイクルを以下の順序で説明します。
- M(躁病/軽躁病): 疾患の活発なフェーズ。精神運動の興奮。
- D(うつ病): 躁状態の後に続く、反動としての抑うつ状態。
- I(寛解期/インターバル): 次のサイクルが始まるまでの安定期。
この仮説では、「躁病(興奮)がうつ病を引き起こす」と考えます。つまり、うつ状態は独立した現象ではなく、先立つ躁状態の強さや長さに依存する「二次的な反動」であると定義します。
3. 従来のモデル(DMI)との違い
- DMIパターン(うつ病→躁病→寛解): 多くの治療ガイドラインは、うつ病から始まるこのパターンを前提としていますが、本論文では、DMIはしばしば抗うつ薬の使用によって誘発された不自然なサイクルである可能性を指摘しています。
- MDIの優位性: 自然な経過においてはMDI(躁病先行)の方が一般的であり、このパターンを理解することが適切な治療につながると主張しています。
4. 臨床的な意味と治療への提言
- 「うつ」を治すために「躁」を叩く: うつ状態が躁状態の結果であるならば、治療の最大の焦点は「最初の躁状態(または軽躁状態)をいかに早く、完全に抑えるか」に置かれるべきです。
- 抗うつ薬のリスク: うつ病フェーズで抗うつ薬を使用すると、次の躁状態を誘発したり、サイクルを早めたり(ラピッドサイクリング)、病相を不安定にしたりするリスクがあると警告しています。
- 気分安定薬の重要性: リチウムなどの気分安定薬や抗精神病薬を用いて「興奮」を制御することが、結果的にその後に続く「うつ」の予防・軽減に最も効果的であるとしています。
【要約のポイント(翻訳的解説)】
- 「興奮」が疾患の本質:
双極性障害の本質は、うつではなく「精神運動の興奮(躁)」にある。この興奮が脳を疲弊させ、その結果として「うつ」という虚脱状態を招く。 - 因果関係の逆転:
「躁とうつが交互に来る」のではなく、「躁が来るから、うつが来る」という因果関係として捉えるべきである。 - 治療戦略の転換:
うつ状態の患者を診察する際、その前に「ごく軽微な軽躁状態(活動性の向上や睡眠時間の短縮)」がなかったかを詳細に確認する必要がある。もし躁病先行型であれば、抗うつ薬は慎重に避けるべきである。
結論
この論文は、「双極性障害の治療において、うつ状態を単独の標的とするのではなく、常に先行する躁状態との連鎖の中で捉えるべきである」と結論付けています。クコプロスの「M-D-I」モデルは、現代の双極性障害治療における「過剰な抗うつ薬使用」への警鐘となっており、現在でも非常に高く評価されている理論です。
