2024年に『Journal of Neurochemistry』誌に掲載された最新のレビュー論文『The emerging neuroimmune hypothesis of bipolar disorder(双極性障害の新たな神経免疫仮説)』の内容を詳しく要約・解説します。
この論文は、これまでの「神経伝達物質のバランスの乱れ」という古典的な説を超えて、「脳の免疫系(特にミクログリア)の暴走と炎症」が双極性障害の本質であるという最新の知見をまとめた非常に包括的な研究です。
論文の全体像:神経免疫仮説とは何か?
双極性障害(BD)は、単なる気分の浮き沈みではなく、進行性の脳疾患です。この論文は、脳内の免疫細胞である「ミクログリア」の機能不全が、神経回路を破壊し、躁・うつのエピソードを引き起こし、最終的には脳の老化を加速させるという「神経免疫仮説」を提唱しています。
1. ミクログリア:脳内の「司令塔」の変質
ミクログリアは通常、脳の健康を維持し、不要な神経結合を掃除する役割を担っています。しかし、BD患者の脳内では、以下のような「状態の変化」が起きていると指摘されています。
- 躁状態時(反応性ミクログリア): 外部刺激やストレスに過剰反応し、炎症物質(サイトカイン)を放出して神経を攻撃します。
- 疾患の後半(異栄養性・老化ミクログリア): 長年の炎症によりミクログリア自体が疲弊し、脳の修復機能が失われます。これが認知機能の低下や脳の萎縮につながります。
2. 気分相(躁・うつ)と炎症の連動(図2の解説)
この論文の非常に興味深い点は、「躁状態とうつ状態では、炎症のプロフィールが異なる」と明言している点です。
- 躁状態(気分の爆発): TNF-α、IL-6、CRPといった強力なプロ炎症性サイトカインが急増します。これは、脳が「火事」のような炎症状態にあることを示します。
- うつ状態(虚脱と変化): 炎症物質の種類が変わり、一部では免疫反応が抑制される「免疫学的老化(イムノセネッセンス)」のような兆候が見られます。
- 寛解期: 症状がない時期でも、微細な低レベルの炎症が続いており、これが次の再発の準備段階となります。
3. 多重ヒットモデル(原因の相乗効果)
なぜ免疫系が狂うのかについて、論文は「複数の要因が重なった結果」であると説明しています。
- 遺伝的素因: 免疫関連の遺伝子変異。
- 早期の逆境: 子供時代の虐待やネグレクトが、免疫系の「設定値」を過敏に変えてしまう。
- 感染症: 妊娠中の母親の感染や、大人になってからの特定のウイルス感染(トキソプラズマなど)が引き金になる。
- 腸内細菌叢(図3): 腸内環境の悪化が「リーキーガット(腸漏れ)」を引き起こし、全身の炎症を通じて脳のミクログリアを刺激する。
4. 自殺リスクとミクログリア
最新の研究データとして、「自殺したBD患者の脳(海馬など)では、ミクログリアの密度と活性化が著しく高い」ことが示されています。特定の免疫チェックポイント(LAG3など)の減少が、絶望感や衝動性と生物学的に結びついている可能性を示唆しています。
5. リチウムの新たな役割:免疫調整剤
双極性障害の特効薬であるリチウムがなぜ効くのかについても、免疫の視点から説明されています。
- リチウムは、ミクログリアの過剰な炎症反応を抑え、脳を保護する「神経栄養因子(BDNF)」を増やす働きがあります。つまり、リチウムは「脳内の抗炎症薬」として機能している側面があるのです。
解説:この論文が示唆する未来
この論文が重要なのは、双極性障害の治療ターゲットを「神経伝達物質」から「免疫系」へと広げた点にあります。
- 診断の精度向上: 血液中の炎症マーカー(IL-6やCRPなど)を測定することで、現在の気分相や再発のリスクを客観的に評価できる可能性があります。
- 新しい治療法: 既存の抗精神病薬に加え、特定の抗炎症薬や、腸内環境を整えるアプローチが、双極性障害の新たな治療オプションになることが期待されます。
- 進行の阻止: ミクログリアの健康を保つことで、エピソードを重ねるごとに悪化する脳のダメージ(神経進行)を食い止められる可能性があります。
結論
このレビューは、双極性障害を「全身の免疫系と脳のミクログリアが複雑に絡み合った多システム疾患」として再定義しました。躁病先行仮説において「躁がエンジンである」と言われる背景には、このような急激な免疫暴走(サイトカインストームに近い状態)が関与していることを裏付ける強力な内容となっています。
