幻聴を考える。
様々な幻聴があって、脳内で実際に音が発生することもある。
てんかん発作の一部ではそのようなことも起こる。
シゾフレニーの場合は、少し様子が違うと思う。
シゾフレニーの場合の幻聴の全部ではないと思うが、
多くの場合、声が発生しているのではなくて、考えが発生しているのだと思う。
そして、それを脳内でどのように処理されるのかは、脳の特性による。
考えが考えのままで、ダイレクトに思い浮かぶということもあるだろう。
アルキメデスがどうしたとか。
たいていの場合、考えは声になって、聴覚性の刺激だと錯覚するのだろうと思う。
特殊な場合は、考えが活字になったり、手書きの文字になったりして、視覚情報として見えるということもあるのかもしれないが、いままで、そのような人に出会ったことはない。
人間の目には瞼があって、怖い時には、また見たくないときには、瞼を閉じることができる。
瞼を閉じても見えているなら、それは外部視覚情報ではないと分かるはずだ。
人間の耳は閉じられない。手で覆うこともできるが、完全ではない。
最近ならノイズキャンセリングイヤホンなどで外部の音刺激を遮断できそうな気もするが、
ノイズキャンセリングイヤホンで、自分の幻聴を、錯覚だと納得した人も、出会ったことはない。
その種の感覚情報は、否定できない「現実」であって、錯覚だとか、思い込みだとかは、受け入れられない。そのような、明白なものだ。あまりにも自明なものだ。
だから、声は否定できない。そこを起点として、被害妄想やさせられ体験が発生することもある。
考想化声というものがあって、これは、自分の考えが、自分の声となって、耳に聞こえる。だから、被動性はなく、自己所属感は保たれている。
幻聴は、させられ体験である。
被動性で、自己所属感が失われている。
人間だから、幻聴になるのであって、多くの動物の場合には、幻臭になるのではないかと思う。そして、敵が来たとか思うのだろう。
