アメリカの思想家アイン・ランドの「徹底した合理主義」が、一見すると日本人に馴染みにくいようでいて、実は日本の江戸時代から続く「資本主義の精神」と深く共鳴している。
1. アイン・ランド
「資本主義の精神」を祝福し、国家による統制や介入を拒否する「リバータリアニズム(自由至上主義)」の立場にある。
マックス・ヴェーバーが説いた近代資本主義の精神が、実は日本の江戸時代にすでに芽生えていた。その点で、ランドの思想は日本人にとっても理解しやすいものである。
2. 江戸時代に存在した「資本主義・リバータリアニズム」に通じるエートス
江戸時代初期および中期に、西洋のプロテスタンティズム(カルヴィニズム)に匹敵する「勤勉の哲学」が日本で誕生していた。
① 鈴木正三(すずき しょうさん):世俗の業務は仏行なり
江戸初期の僧侶であり元武士の鈴木正三は、当時の常識を覆す革命的な思想を唱えました。
- 労働の宗教化: 「農業も商売も、一所懸命に行えばそれがそのまま仏道修行(成仏への道)になる」と説きました。これはヴェーバーが説いた「天職(コーリング)」の概念、すなわち世俗の職業を神から与えられた使命とする考え方と酷似しています。
- 利潤の肯定: 欲にまみれて稼ぐのではなく、修行として励んだ結果として得られる利益は「悪」ではないと断言しました。
- 自由と流通: 「商人がいなければ自由(流通の停滞がない状態)がなくなる。商人は天から大事な役目を任されている」と考え、国家や官僚の支配に依存しない、民間の経済活動の自律的な価値を認めました。
② 石田梅岩(いしだ ばいがん):商人の利益は武士の俸禄と同じ
江戸中期の思想家で「石門心学」の開祖である石田梅岩は、さらにこの思想を広めました。
- 職業の正当化: 当時の「士農工商」という身分制度の中で卑しまれていた商人に対し、「商人が利益を得ることは、武士が俸禄(給料)をもらうのと同じく正当な権利である」と説きました。
- 自立した個の倫理: 勤勉と節約を美徳とし、自らの力で資本を蓄積することを推奨しました。これが後の明治以降の日本の急速な近代化を支える精神的土壌(エートス)となったと筆者は述べています。
これらの思想は、自分の能力を最大限に発揮し、その対価として正当な利益を得るというアイン・ランドのリバータリアニズム的な「自己利益の追求」と非常に親和性が高いものです。
- 「創造する人間」の賛美: 自分の頭で考え、価値を創造する人間こそが世界を支えているという視点。
- 反・統制経済: 無能な官僚による規制、既得権益を守ろうとするカルテル(共同体)、そして「公共の利益」という名目で個人の成果を奪おうとする「たかり屋(寄生者)」たちと戦います。
- 契約と交換: 人間関係は、暴力や自己犠牲ではなく、自由な個人の合意に基づく「等価交換(交易者としての関係)」であるべきだという考え方。
4. 日本人がランドから学ぶべきこと
日本的な資本主義には「共同体(家族主義)」と「機能集団(会社)」が未分化であるという弱点がある。
- 日本の危うさ: 会社を「家族」とみなす構造は、稀有なリーダーがいる間は強力なパワーを発揮しますが、一歩間違えば、個人の尊厳を奪い、過労死を招くような「ブラック企業」や「全体主義的な組織」へと変貌するリスクを孕んでいます。
- 個人の尊厳: アイン・ランドの思想は、「個人を共同体に溶解させてはならない」と説きます。日本人がランドから学ぶべき最大の教訓は、「共同体から自立した個人の尊厳」と「真の意味での個人主義」である。
まとめ
「日本の江戸時代には、労働を修行と捉え、官僚の介入を排して自律的に価値を生み出そうとするリバータリアニズム的な精神(エートス)がすでに存在していた」。
日本人は江戸時代からすでに傑出していたと結論したいわけではない。ただ、上記のような例があると指摘した。
また、アイン・ランドのリバタリアニズムは、無批判に礼賛されるべきものではない。昔も今も強い批判がある。ただ、資本主義の一つの極端な類型として比較には好都合であった。「共同体から自立した個人の尊厳」と「真の意味での個人主義」を強調するには適した考察の対象であった。
日本の場合は、江戸時代も今も、「個人は共同体から自立できない。個人の尊厳が尊重されない。」「真の意味での個人主義がない」ことは繰り返し指摘されてきた。そもそも「個人の尊厳」という観念がない。そのような風土の中でも、商売して儲ける、勤勉、倹約、蓄財が「徳」であるとの考えがあったことは、意外な感じがする。
過度に共同体的な集団の中で、どうして資本主義的な、利潤、勤勉、倹約、蓄財が「徳」とみなされたのか、不思議である。
今でも、勤勉、倹約、蓄財の結果、自分だけ裕福になっている人は、不正をしていないとしても、周囲からの非難の対象になる。人々は足を引っ張るのが好きだ。嫉妬羨望が強い。突き抜けてしまえば賞讃になるが、少しだけ裕福という人に対しては、あら捜しをしたりするようである。
そのような集団が、リバタリアニズムを抵抗感なく受け入れることは、困難だろう。実際、人々は「ハゲタカ」から「むしられる」側である。
リバタリアニズムを「ハゲタカ」と認識すること自体、正確な認識ではないとも考えられる。また一方で、そのような受け止め方をすることが、受け止める側の価値観や感受性の結果ではないかと考えれば、日本人に内在する価値観や感受性を分析する手掛かりとなる。
