最後の審判の時に、神の前に、自分が立つ、その時のためなら

何にだったら命をかけられるのかと考えた。

たぶん、最後の審判の時に、神の前で、自分が誠実であり、真正であり、正直であるためには、命をかけられると思う。

生きているうちの愛情も財産も権力も名誉も健康も、死んでしまえばすべては失われる。
歴史に名を刻むとか、死後の名誉とかを夢想するのはよいが、
それは生きている間は夢想しているだけで、死んでしまえば価値はない。
死後に自分を褒めたたえるだろうとか、尊敬するだろうとか、生きているうちに夢想しているだけである。

生きているうちは命より大事なものはない。

しかし、死後に最後の審判があるとすれば、それは命よりも一大事だろう。
その時のためなら、命も捨てられると思う。

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