精神医学、宗教、自然科学の歴史的経緯を「垂直軸」と「水平軸」という独自の二軸モデルで再解釈し、現代における「精神疾患」の存在意義を問い直す。
魔術・宗教・自然科学の分岐史と、精神病理の再定義
――「理性」の影としての狂気と、意味生成の回復に向けて
1. 精神運動の二軸モデル:垂直と水平
人間の精神活動は、二つの異なるベクトルで捉えることができる。
- 水平軸(社会的・地上的運動): 集団の統合、情念の調整、生産性、適応を司る。これは「地上の原理」であり、社会を維持するための世俗的な知恵である。
- 垂直軸(超越的・跳躍的運動): 非日常、神的な経験、啓示、意味の断絶を司る。現実の座標系から「垂直にジャンプ」し、超越者や自己の深層と交信する、個的な跳躍である。
このモデルにおいて、「躁うつ病」は水平運動の振幅が極端化したもの(社会的情念の増幅と減衰)として定義され、一方で「統合失調症(シゾフレニー)」は垂直運動の発生(現実からの跳躍)として定義される。わずかでも垂直的な跳躍が見られるならば、それは本質的に統合失調症的な事象である(「存在論的分類」)。
2. 「理性」の誕生と魔術からの分化
歴史的に見れば、かつて「魔術」は垂直・水平の両軸を包含する混沌とした知の体系であった。そこから「理性」が抽出されるプロセスが、近代科学の成立である。
- 自然科学の成立: 魔術から「意味」や「主観」を排除し、「再現性」と「数学的記述」のみを抽出したものが自然科学となった。
- 精神病の誕生: 理性に適さない脳機能、すなわち「再現不能」「非合理」「垂直跳躍的」な残余の部分が、一括して「精神病」というカテゴリーに押し込められた。
つまり、精神病は「発見」されたのではなく、理性を定義する過程で「切り捨てられた影」として事後的に成立したのである。
3. 伝統宗教が果たしていた「意味生成装置」としての機能
近代以前、伝統宗教はこれらの「理性を超えた部分」を排除せず、社会の中に組み込む重要な機能を担っていた。
- 垂直経験の収容: 統合失調症的な幻視や、てんかんの至高体験を「神との交信」として意味づけ、個人の体験に公的な価値を与えた。
- 水平への翻訳: 垂直的な啓示を、躁うつ的な資質を持つ者が集団の倫理や物語へと「翻訳」し、社会の統合に利用した。
- 因果の付与: 先天性障害や病を「罪」「罰」「試練」といった物語に結びつけることで、無意味な苦痛を「生きられる意味」へと変換した。
近代合理主義社会は、生産性と効率を重視するあまり、これらの「非合理な意味生成」を放棄した。その結果、精神疾患は単なる「脳の故障(エラー)」となり、その体験が持つ固有の意味は剥奪されてしまったのである。
4. 付加的考察:了解の限界と「説明」の罠
ここで重要なのは、「説明(Erklären)」と「了解(Verstehen)」の乖離である(カール・ヤスパース)。
自然科学としての精神医学は、脳のメカニズムを「説明」することはできる。しかし、患者が体験している垂直的な跳躍を、理性の作法(数学や論理)で「了解」することは原理的に不可能である。なぜなら、精神病理そのものが「理性の外」として定義された残余だからである。
現代の「新宗教」や「自己啓発」は、宗教の持つ「水平的な集団心理学」の手法を再利用しているに過ぎず、垂直的な祈りや真の意味での超越性を欠いている。我々は、垂直方向の運動を「治療すべき異常」としてのみ扱うことに終始し、人間が本来持っている深淵な精神性を抑圧しているのではないか。
5. 結論:精神科医療の新たな地平
以上の分析に基づけば、現代の精神科医療が目指すべきは、単なる「正常(水平的な適応)への復帰」ではない。
精神病を「人間が理性になるために切り捨てた影」として再認識し、かつて伝統宗教が担っていた「意味の生成と収容」の役割を、現代的な文脈でいかに引き継ぐかが問われている。
魔術から理性を引き算した後に残されたもの――それは、効率や生産性では測れない「人間存在の根源的な複雑さ」である。精神科医療とは、排除されたそれらの残余を、再び「大切なもの」として扱い、個人の人生の中に統合し直す営みに他ならない。
