法の隙間に棲む精神――新自由主義・技術・共感の衰退
1. 現象の輪郭:法を犯さず、倫理を踏み越える人々
匿名・流動型犯罪集団、いわゆる「トクリュウ」は、現代社会に特有の犯罪形態である。
SNSや闇バイトを通じて実行犯を募集し、秘匿性の高い通信アプリを用い、固定的な組織を持たずに離合集散を繰り返す。これは単なる犯罪の巧妙化ではなく、法制度と社会慣行の「隙間」に寄生する行動様式の可視化である。
同様の構図は、詐欺的契約、グレーゾーン商法、選挙における二馬力運動、犬笛的扇動、さらにはそれに付随する自殺や社会的破壊においても観察される。
共通するのは、違法性が確定しない限りは何をしてもよい、あるいは明文禁止されていなければ自由であるという発想である。
ここで重要なのは、彼らが「法を破っている」のではなく、法の時間差・事後性・抽象性を利用しているという点である。
法律、警察、裁判はいずれも原理的に事後的であり、被害が顕在化し、一定量蓄積してはじめて作動する。その間、行為者は利益を得続ける。禁止されれば、次の隙間へ移動する。この循環は、もはや個別犯罪ではなく、一つの合理的戦略として成立している。
2. 法と現実の隙間を埋めてきたもの
歴史的に見れば、法と現実の間の空白を埋めてきたのは、常識、倫理、慣習、そして共感であった。
「それはやってはいけない」「そこまでやるのは卑怯だ」「人としてどうか」という感覚が、法以前の抑制として機能してきた。
しかし、問題はその感覚を持たない人間、あるいは持っているが作動させない人間が、一定数、しかも組織化され、技術によって増幅されていることである。
これは単なる道徳の堕落ではない。
むしろ、法が想定していなかった主体像が、社会の前面に現れてきたと考えるべきだろう。
3. 技術は常に法の前を走る
法の不備を突く行為には、常に新技術が関与してきた。
- 自動車・バイク → 道路交通法以前の無秩序
- 通信技術 → 詐欺・情報操作
- 薬剤 → 規制前の乱用
- 現代では、ネット、スマートフォン、IT、匿名通信
さらに、国家が導入した新制度――マイナンバー、ネット銀行、クレジットカード、各種点検制度――は、制度への信頼を前提とするがゆえに、格好の標的となる。
ここで注目すべきは、技術それ自体が倫理を持たないという点である。
技術は可能性を開くが、抑制を内包しない。その抑制を担うはずだった倫理・慣習・共感が弱体化したとき、技術は「法の隙間を突く能力」を最大化する。
4. 共感はなぜ失われるのか――精神発達の視点
「なぜ平気で人をだませるのか」「なぜ共感性がないのか」と問いは極めて本質的である。
スマートフォン依存と共感性の問題は、因果が一方向ではない。
- 対人交流の減少 → 感情理解・倫理感情の発達阻害
- もともとの感情発達の脆弱さ → デジタル環境への逃避
- その後、悪循環
同様に、「IT土方」的労働環境についても、
先天的な自閉スペクトラム傾向なのか、環境による二次的変容なのかは、単純に切り分けられない。
重要なのは、感情発達・共感能力は自然に自動獲得されるものではなく、社会的相互作用の中で育つという点である。
効率化・非対面化・成果主義が進むほど、その発達条件は損なわれやすい。
5. 新自由主義は精神を変えるのか
ここで、最大の問いに至る。
新自由主義(ネオリベラリズム)は、倫理や精神構造の理論ではなく、あくまで経済制度論である。
その思想的基盤は、例えば フリードリヒ・ハイエク や ミルトン・フリードマン に代表されるように、「市場による調整を最大限尊重し、国家介入を最小化する」点にある。
それ自体が「他人をだませ」と命じているわけではない。
しかし、下部構造が上部構造を規定するという古典的命題に従えば、問題は別の形で現れる。
- 利益追求が正当化される
- 成果のみが評価される
- 手段の倫理は後景化する
- 失敗や被害は「自己責任」として個人化される
この環境に長く置かれれば、
「法に触れない限り、何をしても合理的」
「だまされる方が悪い」
という心的枠組みが形成されても不思議ではない。
新自由主義は直接に精神を規定しないが、特定の精神構造が生き残りやすい生態系を作る。
共感的・抑制的な主体よりも、隙間を見つけ、規範を操作する狡猾な主体が報われやすい環境が、結果として選択される。
6. 卑小な主体の時代
「人格的に偉大な人ではなく、隙間を狙って稼ぐ卑小な人」という像は、単なる感情的批判ではない。
それは、制度と技術と精神の相互作用が生み出した、合理的帰結である。
勤勉・節約・蓄財という古典的倫理は、長期的・共同体的時間感覚を前提としていた。
一方、隙間を突く行為は、短期的・匿名的・断片化された時間感覚と親和的である。
7. この見方は正しいのか――限界と留保
最後に、この議論は容易に立証できない。
- 精神の変化を直接測定する指標は乏しい
- 因果関係は多方向的である
- 新自由主義以外の要因(人口動態、教育、メディア)も大きい
したがって、「新自由主義が共感欠如型犯罪を生んだ」と単線的に断定することはできない。
しかし、
新自由主義的制度環境 × 新技術 × 共感を補完してきた社会的中間層の弱体化
という組み合わせが、現在の現象と整合的であることは、十分に論理的に主張できる。
結語
その違和感は、昔はましだった、という感傷ではない。
それは、法・技術・精神の関係が転位しつつあることへの、きわめて知的な感受である。
問題は、人々が急に悪人になったことではない。 正直さや抑制が、社会的に報われにくくなるような環境へと、制度と技術が変化しつつあることにある。「悪さをしない人」が相対的に不利になる環境が広がった
この問いは、法学でも経済学でもなく、
人間がどのような精神を持つ存在として社会に組み込まれるのか
という、根源的な人間学の問題である。
そして、その問いを立て続けていること自体が、
すでにこの時代への一つの抵抗であると言えるだろう。
