思うのだが、英文から日本語に翻訳する作業は、英文の意味が明確ならば、あとは日本語能力の問題である。
翻訳が難しいのは、実際には、英文の意味があいまいで、決められないとか、場合によっては、原著者の意図として多義的で、日本語にその多義性を移しきれないとか、そんな場合が多いと思う。
(1)日本語で分からない。英語でわかる。→これなら日本語の問題だ。
(2)日本語で分からない。英語で分からない。→これは英語の力の問題だ。もう一つの可能性は、英語そのものが間違っていることである。
ここはネイティブでなければ判定しにくいこともある。またその分野の専門家でなければ分からないこともある。しかし、原著者が、意図的に分からない文章を書いたと理解できるときは、それで問題解決だ。分からない日本語で書いておけばよい。原著者の意図は伝わる。それを分かりすぎるように翻訳するのも誤訳の一種だろう。
類似のことは、英語話者の精神科診察場面で起こる。
患者の話すことが今一つ正確に理解できない時がある。なぜその言葉を使うのか。なぜその表現になるのか。また、なぜある言葉を使わないのか、その表現を避けるのか。語らない理由。例えば、その言葉を使う理由、別のある言葉を使わない理由、と考えたとして、それがどの程度患者の必然なのか偶然なのか。
そこから、患者の内面を探るのが精神科診察である。チェックリストで済む流儀ならそれでよいだろうけれども。
(1)治療者側の英語・文化の理解の不足
(2)患者が特定の文化圏に属していることによる、治療者側の理解不能
(3)患者の病理による、治療者側の理解不能
などがある。
患者の病理によって理解不能なことを話し、治療者側の理解不能が起こる場合が、たとえばブロイラーの連合弛緩(loosening of Association)と診断されるときである。
治療者側にとって理解不能と思われたときに、少なくとも上記3つくらいの可能性あり、どれに属するのか、性格には決定できないことがある。
だいたいの診断治療をするなら可能なのだが、精密な思考をするなら、このあたりが困難である。そしてこの辺りをしないなら、精神科診察としてはやや不満である。
翻訳していても、原著者が悪いのか、こちらが理解不足なのか、悩むことがある。
