序章 なぜ、いま「回復」を疑うのか 温存的精神療法20260320

序章 なぜ、いま「回復」を疑うのか

――日本社会における不安・沈黙・支援の風景


 診察室には、外の風が入ってくる。

 窓を開けているわけではない。患者が持ち込んでくるのだ。言葉にならない疲労として、あるいは説明のつかない焦りとして、または「なぜ自分がこうなったのかわからない」という困惑の表情として。精神科医をしていると、社会の地殻変動が、個人の症状という形をとって静かに押し寄せてくることに気づく。

 ある四十代の男性は、こう言った。「頑張っているのに、なぜか前に進んでいる感じがしない」。彼はバブル崩壊後の就職氷河期を生き延び、非正規雇用と正規雇用の狭間で長年働き、今は物価の上昇と老親の介護と将来への漠然とした不安を同時に抱えている。診断名は「適応障害」だった。しかし私はそのとき、本当にこれは彼個人の「適応」の問題なのかと、思わずにいられなかった。

 彼が適応できていないのではない。適応することが著しく困難な社会の構造に、彼は置かれているのだ。


 本書のテーマは、その構造を見ることである。

 マルクスは、社会を「下部構造」と「上部構造」に分けて考えた。下部構造とは、経済・生産・労働の仕組みのことだ。上部構造とは、その経済的土台の上に花開く、法・政治・文化・思想・芸術のことである。二つは独立しているように見えて、実は深く連動している。

 本書でいう「下部構造」とは、新自由主義的な経済政策、少子化の進行、円安とインフレによる生活水準の低下、軍事費の拡大、医療費の抑制といった、現代日本が直面している経済的・政治的な現実である。そして「上部構造」とは、その土台の上で展開される精神療法の文化――回復モデル、自己決定の理念、当事者運動、ケアの思想――のことだ。

 この二つを、同時に、一つの視野に収めて考えようというのが、本書の試みである。


 「回復(リカバリー)」という言葉が、いまや精神医療の世界では常識となっている。かつて精神の病を持つ人は「慢性患者」として長期入院を余儀なくされ、回復の見込みなしと宣告されることが少なくなかった。そこに抵抗したのが当事者たちであり、支援者たちであった。「回復できる」「自分の人生を取り戻せる」というメッセージは、制度への抵抗として生まれた、まぎれもない解放の思想だった。

 しかし今、私はその「回復」という言葉を、あらためて疑い直す必要があると感じている。

 疑う、というのは否定することではない。その言葉が生まれた文脈から切り離され、どのように使われているかを問い直すということだ。「回復しなければならない」「前向きに生きなければならない」「自分で選択しなければならない」――いつの間にか、解放の言葉が、新たな命令の言葉に変わっていないか。

 それは、社会の変化と無縁ではないだろうと私は思う。新自由主義的な競争社会では、「自己責任」と「自己決定」が美徳とされる。その土壌の上で「回復モデル」を用いるとき、それはともすれば「自力で立ち直れ」という社会的圧力の、優しい顔をした言い換えになってしまいかねない。


 日本社会は今、静かな危機の中にある。

 景気は回復したと言われるが、多くの人の生活実感は改善していない。少子化は加速し、社会保障の持続可能性は揺らいでいる。物価は上がり、賃金の伸びはそれに追いつかない。安全保障をめぐる不安が、これまでになく身近な問題として語られるようになった。

 奇妙なのは、これほどの困難を前にして、社会全体がひどく静かであることだ。怒りの声は上がらない。街頭に人は出ない。閉塞感は広がっているのに、それが政治的な言葉を持たず、運動にならず、ただ個人の疲労と沈黙として沈殿している。

 なぜか。

 その問いに答えることが、本書の縦軸の一つである。


 本書は五つの部に分かれている。第Ⅰ部では、現代日本の経済的・社会的な構造を、いわば「社会の症例」として記述する。第Ⅱ部では、その構造が人々の心理にどう作用し、医療・福祉の現場にどう流れ込んでいるかを見る。第Ⅲ部では「回復モデル」の光と影を検討し、第Ⅳ部では支援という営みが持つ政治性を問い直す。そして終章では、それでも臨床を続けることの意味を、静かに問い直す。

 本書の読者として想定しているのは、精神医療の専門家だけではない。生きることに少し疲れを覚えている人、誰かを支えようとして自分が先に消耗してしまっている人、社会の閉塞感を漠然と感じながらも言葉を持てずにいる人、そのすべての人に届けたいと思って書いた。

 難しい理論は、できるだけ平易な言葉に翻訳する。具体的な場面や例を多く用いる。ただし、問いの深さは損なわない。それが本書の約束である。


 診察室の椅子に座っていると、患者の言葉の奥に、もっと大きな何かの気配を感じることがある。それは個人の苦しみではあるのだが、同時に、個人をはるかに超えた何かでもある。

 その「何か」に、きちんと名前をつけたい。そう思って、この本を書き始めた。

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