第5章 社会的抑うつとパニック

第5章 社会的抑うつとパニック

――臨床の比喩としての現代日本


 精神科医は、個人を診る。

 しかしときに、窓の外を見るような気持ちになることがある。目の前の患者が語る苦しみの輪郭が、社会全体の輪郭と重なって見える瞬間がある。これは錯覚ではないと私は思っている。個人の症状は、その人が生きている社会の縮図として現れることがある。そして逆もまた真だ。社会全体が、一人の患者のように、特定の症状のパターンを示すことがある。

 本章では、その重なりを丁寧に描いてみたい。

 現代日本という社会を、一人の患者として診察室に迎え入れるとしたら、何が見えるか。


抑うつとはどういう状態か

 まず、抑うつという状態を整理しておこう。

 うつ病の中核にあるのは、「気分の持続的な低下」と「意欲・興味の喪失」だ。楽しかったことが楽しくなくなる。やる気が出ない。将来に希望が持てない。疲れやすい。集中力が落ちる。自分を責める声が止まらない。これらが二週間以上続くとき、臨床的にうつ病と診断される。

 しかし抑うつにはもう一つ、重要な特徴がある。「低空飛行」の持続だ。劇的な悪化ではなく、じわじわと、気づかないほど緩慢に、しかし確実に機能が低下していく。本人も周囲も「少し疲れているだけ」「気合が足りないだけ」と思いがちで、長期間見過ごされる。気づいたときには、かなり深刻な状態になっていることが多い。

 この「気づかれにくい低空飛行の悪化」というパターンが、現代日本社会の状態と重なって見える。


社会的抑うつの症状

 現代日本を「抑うつ状態にある患者」として診察してみよう。

 まず、「意欲と希望の喪失」という症状。経済成長への期待が消えて久しい。「失われた三十年」という言葉が定着したこと自体、社会の未来への失望を象徴している。若い世代の多くが「自分たちの生活は親の世代より良くなるとは思えない」と答える調査結果は、この希望の喪失を数字で示している。企業は内部留保を積み上げ、投資を控える。個人は消費を抑え、貯蓄に走る。社会全体が「縮小均衡」を是とする方向に動いている。これは抑うつ患者が新しいことへの挑戦を回避し、エネルギーを温存しようとする行動パターンに似ている。

 次に「自己批判の過剰」という症状。第3章で論じたように、社会的な問題が個人の責任として内面化される。「日本が衰退しているのは、日本人の努力が足りないからだ」「生産性が低いのは個々の労働者の問題だ」という言説が繰り返される。国際競争力の低下、少子化、財政悪化といった構造的問題が、「個人の怠慢」として語られる。社会の自己批判だ。

 さらに「快感消失(アンヘドニア)」という症状。かつては社会を活気づけていたものが、その輝きを失っている。バブル期の熱狂は遠い記憶になり、高度成長の夢は語られなくなった。祭りや共同体の紐帯が薄れ、消費の喜びも「モノを持たない主義」や「ミニマリズム」という形で反転した。喜びや興奮よりも、静けさと省エネを好む傾向が広がっている。個人レベルでの快感消失と、社会レベルでのこの変化の間に、相似形を見る。

 そして「過去への固着」という症状。抑うつ患者はしばしば、過去の失敗や後悔に繰り返し立ち戻る。現代日本の政治や文化にも、「かつての日本は良かった」「戦後の高度成長を取り戻せ」という過去への固着が強くある。未来への展望ではなく、過去の栄光への郷愁が、言説の中心を占めることがある。


パニックという対の症状

 しかし抑うつだけが、現代日本の姿ではない。

 抑うつ状態にある患者は、慢性的な低空飛行を続けながらも、特定の刺激に対して激しく反応することがある。普段は無気力なのに、ある種の出来事に接すると急激に不安が高まり、パニック状態に陥る。抑うつとパニックは、しばしば同じ患者の中に共存する。

 社会レベルでも同じパターンが見える。

 東日本大震災(二〇一一年)。福島第一原発事故。新型コロナウイルスの流行(二〇二〇年〜)。急激な円安の進行。北朝鮮のミサイル発射。これらの出来事に対して、日本社会は突発的な不安の高まり、情報の殺到、行動の変化という形でパニック的な反応を示してきた。

 コロナ禍のマスク買い占め、トイレットペーパー騒動は、その典型だ。「不足するかもしれない」という情報が、合理的な判断を超えた行動を引き起こした。これはパニック発作に似ている。個人のパニック発作でも、客観的な危険の大きさと反応の強度が比例しないことがある。普段の抑制された状態との落差が大きいほど、反応は激しくなる傾向がある。

 慢性的な抑うつ状態にある人が、普段は感情を切断して低空飛行を続けながら、ある刺激に対して急激に感情が溢れ出すことがある。感情の「堰き止め」と「決壊」のサイクルだ。現代日本の社会心理にも、この堰き止めと決壊のサイクルが見える。


なぜ抑うつとパニックが共存するのか

 精神医学的に言えば、抑うつとパニックが共存する背景には「慢性的なストレスへの適応」がある。

 ストレスが長期間続くと、神経系は「省エネモード」に移行する。常に緊張し続けることは不可能だから、感情の感度を下げ、反応を鈍らせることで、消耗を防ごうとする。これが慢性的な無気力・無感動として現れる。しかしこのモードに入った神経系は、特定の強い刺激に対しては過剰に反応しやすくなる。アラームの閾値が歪んでいるからだ。

 社会も同様だ。長期的な停滞と閉塞感に適応した社会は、日常的な問題には鈍感になる一方で、特定の脅威には過剰に反応する構造を持つ。「ゆっくり悪化する問題」(少子化、財政悪化、格差拡大)には反応が鈍く、「突発的な危機」(災害、感染症、安全保障)には過剰に反応する。

 この歪みは、政治的にも利用されうる。「ゆっくりした危機」に目を向けさせず、「突発的な脅威」を強調することで、人々の不安を特定の方向に誘導することができる。安全保障の脅威が繰り返し強調され、財政危機や格差拡大への議論が相対的に抑制されるとき、この構造が政治的に機能していないかを問うことは重要だ。


「機能不全家族」としての日本社会

 ここで少し視点を変えて、別の臨床的比喩を導入したい。

 「機能不全家族」という概念だ。

 機能不全家族とは、表面的には家族として存在し続けているが、内部でのコミュニケーションが歪み、問題が直視されず、成員の感情的・発達的ニーズが満たされていない家族のことだ。その特徴の一つは「問題の否認」だ。アルコール依存症の親がいる家庭で「うちは普通の家族だ」「父は少し疲れているだけだ」と語られるように、問題を問題として認識しない集団的な否認が機能する。

 現代日本社会にも、この「問題の否認」が広くある。国債残高が危機的水準にあることは統計として知られているが、「大丈夫だ」という言説が繰り返される。少子化が急速に進んでいることは誰もが知っているが、有効な対策が取られない状況が続く。環境の悪化、格差の拡大、地方の空洞化――これらは「問題として認識されているが、直視されない」という状態に置かれている。

 機能不全家族では、問題を指摘する成員が「空気を壊す者」として排除されることがある。社会でも同様に、構造的な問題を正面から指摘する声は「暗い」「非現実的」「反日」といった形で周縁化される傾向がある。


「慢性疾患」としての停滞

 急性の病と慢性の病では、対処の仕方が違う。

 急性の病は、原因を特定して取り除けば治る。しかし慢性疾患は、完治という目標設定そのものが適切でないことがある。完治を目指して焦ることが、かえって病状を悪化させることもある。慢性疾患との付き合い方は、「治す」よりも「うまく生きる」「悪化を防ぐ」「質を保つ」という方向に移行する必要がある。

 日本社会の停滞も、急性の危機として処理しようとすると、かえって問題が見えにくくなる。「バブル後の不況」「リーマンショック後の低迷」「コロナ後の回復」というように、個別の危機とその克服として語られてきた物語は、実は一つの長期的な構造変化を断片に切り取って理解しようとする試みだったのではないか。

 慢性疾患として捉え直すとき、問われるべきことが変わる。「どうすれば元に戻れるか」ではなく、「この状態でどのように社会としての健康を保つか」が問われる。高度成長の再現を目指すのではなく、縮小する社会の中でいかに人々の生活の質と尊厳を守るかが、問われるべき問いになる。


比喩の限界と、比喩の意義

 ここで一つ、正直に付け加えなければならない。

 社会を「患者」として描く比喩には、限界がある。社会は患者ではなく、その中に生きる無数の個人の集合だ。「社会が病んでいる」という表現は、責任の所在を曖昧にする危険を持つ。誰かが意図的に何かをしているのか、構造が自律的に作動しているのか、それとも誰もが少しずつ加担しているのか――「社会が病んでいる」という言葉は、そういった区別を流してしまうことがある。

 しかし比喩には、別の価値がある。

 複雑で見えにくい構造を、人間的なスケールで感じられるものに変換する力だ。「財政の構造的問題」という言葉より、「慢性疾患を抱えた患者が、急性症状を繰り返している」という言葉の方が、問題の質感を伝えることがある。感情的に理解されない問題は、行動につながらない。

 精神科医は、比喩を使う。患者が自分の状態を理解するために、「今あなたは、長距離走の途中で倒れた人のようなものです。今すぐ走ろうとしてはいけない」と言う。正確な医学的説明よりも、この比喩の方が患者の行動を変えることがある。

 社会を診ることも同じだ。正確な統計と分析だけでなく、社会が自分自身の状態を感じ取れる言葉を探すことが必要だ。本章の試みは、その一歩だ。


回復の条件

 抑うつからの回復に必要なことは何か。

 一つは、自分の状態を正確に認識することだ。否認をやめ、「私は今、具合が悪い」と認めること。これは弱さではなく、回復の出発点だ。

 もう一つは、問題の原因を適切に帰属させることだ。すべてを自分のせいにせず、環境の問題・構造の問題として見ることができると、自責感が和らぎ、適切な対処が可能になる。

 そして三つ目は、一人で抱え込まないことだ。人とつながり、状況を共有し、小さくても連帯を作ること。孤立した個人は、構造の前で無力だが、つながった人々は違う。

 これらは個人の回復の条件だが、社会の回復の条件でもあると私は思う。社会が自分の状態を認識すること。問題を構造として帰属させること。孤立した個人の集合ではなく、連帯を持つ社会として応答すること。

 診察室で患者に向けて言う言葉が、そのまま社会に向けて言えるとしたら、それは「あなたは今、具合が悪い。しかしそれは、あなたのせいではない」だ。

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