精神医学が「価値」を論じにくい理由
精神医学はもともと医学モデルを基盤にしている。つまり、症状を同定し、診断し、除去・軽減するという枠組みだ。この枠組みでは「苦しみの不在」がゴールになる。価値観は個人的・文化的なものだから、医学的に操作する対象としては扱いにくい。
また精神医学はDSMのような診断体系に強く依存しており、記述的・カテゴリー的に問題を定義する。「あなたはうつ病だ」という診断はできても、「あなたはどう生きたいのか」という問いは、その枠の外にある。
ACTがあえて「価値」を中心に置く理由
ACTの根本的な立場は、苦しみの除去をゴールにしないというところにある。
人間は不安も悲しみも葛藤も、生きている限り避けられない。だとすれば「症状をゼロにする」ことを目指すのは、そもそも間違った地図を使っていることになる。
ACTが問うのは、「苦しみがなくなった後に何をしたいか」ではなく、「苦しみがあっても、何に向かって動けるか」 だ。
この問いに答えるためには、その人が何を大切にしているか——価値——が不可欠になる。価値は、行動の方向を決める羅針盤だからだ。
もう少し深く言うと
ACTの理論的背景であるRFTから見ると、人間の苦しみの多くは言語・思考による回避から来ている。「不安を感じたくない」「嫌な記憶を消したい」という回避そのものが、生活を狭めていく。
この回避の対極にあるのが、価値に基づいた行動だ。価値は「苦しみがあっても動く理由」を与えてくれる。だから価値なしにACTは成立しない、とも言える。
まとめると
| 精神医学 | ACT | |
|---|---|---|
| ゴール | 症状の除去・軽減 | 価値ある生の実現 |
| 人間観 | 疾患を持つ患者 | 意味を求める存在 |
| 苦しみの位置づけ | 除くべきもの | 受け入れながら共存するもの |
精神医学が価値を論じないのは欠陥というよりも、モデルの前提が違うからだ。ACTは医学モデルではなく、文脈の中で生きる人間のモデルから出発しているから、価値が中心に来るのは必然である。
