here-and-now(いま-ここ)と嘘

◆ 基本的な意味

“here-and-now”とは、「いま、この場での体験と関係性」を指します。
それは患者が語る過去の出来事や将来の不安といった時間的に離れた体験
ではなく、まさにこの瞬間、治療室の中で、セラピストとの間に起こっていることに焦点を当てる態度や実践のことです。

たとえば、

  • 患者がセラピストに対して怒りや不信を感じたとき
  • セラピストに近づきたいが恐れていると感じたとき
  • 沈黙が続いて気まずくなったとき

といった、「その場で生じている感情・態度・緊張関係」そのものが、貴重な治療素材と見なされます。


◆ 臨床的な意義

1. 防衛機制を超える

患者が「いま-ここ」で実際に感じていることに目を向けることで、回避や防衛を突破し、真の感情や葛藤に触れやすくなります

2. 治療関係を通じた再体験

過去の重要な対人関係のパターン(親子関係、愛着、支配-服従など)が、セラピストとの関係に再演(transference)される。このとき、過去を語るのではなく、「今ここで私との関係で何が起こっているか」を一緒に探ることが、深い洞察と変化をもたらすとされます。

3. 主体性と現実接触を育む

「いまこの瞬間に何を感じているか」を表現し、それを相手と共有することは、自己の主体性を取り戻すことにもつながります。とくに、分裂や回避、自己喪失を抱えた人にとって、「今ここに私がいて、あなたがいる」という確かさは重要な回復の基盤となります。


「いま-ここ」の姿勢は、単なるテクニックではなく、人間とは何か、関係とは何か、癒しとは何かという深い問いに触れながら実践されるものです。したがって、それは単に精神療法の技法ではなく、一つの人間観・存在論でもある。


嘘というのは、たいてい、自分を守るためについてしまうものだ。子どもが母親の目を見て「宿題は終わったよ」と言うときのように、あるいは恋人に対して「大丈夫、気にしてないよ」と言うときのように、それは無意識の自己保存に近い。嘘は暴力ではない。けれど、それは関係の中に小さな断絶を生む——小さな断絶の積み重ねが、やがて大きな不在を生む。

ある日、ある患者が、ぽつりとこんなことを言った。

「昔、親に隠れてバイトしてたことがあるんです。進学の費用のためって言えばよかったのに、なんだか言えなかった。」

それを聞いて、私は少し黙った後で、こんなふうに尋ねた。

「私に対しても、何か隠していることがありますか?」

それはあまりにも直接的な問いに聞こえるかもしれない。だが、この問いには、糾弾の意図はない。ただ、関係の内部に目を向けるという、最も根源的な関心があるだけだ。


嘘、あるいは隠しごと——それはしばしば「いま-ここ(here-and-now)」への扉を開く。過去の出来事のなかでの嘘の記憶は、しばしば現在の関係にも影を落としている。心理療法の場において、私たちは絶えず「語ることが許されていないこと」と向き合っている。フロイトが「抑圧」という言葉で呼んだものの多くは、実際には「語ることが憚られる」という関係性の中でこそ生まれている。

だから私は、患者が誰かに嘘をついたことを語ったとき、それを単に過去の話として聞き流すことはしない。その瞬間、私は内心でこう問う。「では、この場では、どんなことが語られていないのか?」


中年の男性患者が、ふとした瞬間に「最初の数ヶ月は、先生に本当のことを話してなかった気がします」と言った。私はそれに驚かなかった。むしろ、その瞬間にこそ、関係が一歩、深まったと感じた。

「どんなふうに話していなかったのですか?」

彼は少し照れくさそうに言った。

「ちゃんとした人間に見せたかったんでしょうね。悩みはあるけど、それでも理性的で、ちゃんと整理がついてる人間だと思ってほしかったんだと思います。」


私たちは、精神療法という関係の中でも、好かれたい、尊敬されたい、あるいは軽蔑されたくない——そんな願いに突き動かされてしまう。それはごく自然なことだ。そして、まさにその願いが「嘘」を生む。だが、嘘の発見は裏切りではない。それは、「関係の調律」の契機となる。嘘という「歪み」を丁寧に点検することで、私たちは関係をより繊細に再構築することができる。

これは、音楽の調律に似ている。わずかに狂った音程を見つけては、その都度合わせ直す。それを繰り返すことで、いつか、心に響く和音が生まれる。嘘は、破綻の兆しであると同時に、調律のチャンスでもあるのだ。

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