かつて私は、幼い頃に読んだ童話のことを思い出していた。深い森の中で、主人公の少年が迷い込み、帰り道を探しあぐねる物語だった。その少年は、やがて不思議な鳥に出会い、鳥の声に導かれて、自らの足で森を抜け出す。ふと、あの鳥は、セラピストの隠喩ではなかったか、と私は考えることがある。決して代わって歩くのではなく、ただ一声、方向を告げる。そして、その声が耳に届くかどうかは、少年の聴く姿勢にかかっている。
セラピーとは何だろう。しばしばそれは、迷路の中でうずくまっている人に、地図を描いてやることではない。むしろ、どこかに散らばっている断片の紙片を、一緒に拾い集め、並べてみる作業に似ているかもしれない。それは厳密には「道を示す」ことではない。むしろ、どこに道があるのかを感じ取るための「感覚」を取り戻す訓練である。
あるクライエントが、「私は何がしたいのか分からないんです」と呟いたとき、その声はまるで空洞の中から聞こえてくるようだった。その言葉の背後には、「私は自分の声を聞いていない」「聞こうとしていない」「聞くのが怖い」といった幾重もの層があるように思えた。彼らの多くは、自分の願望を知ることを恐れている。いや、もはや「願望」という言葉自体が、古びた書庫の中で埃をかぶっている。
カレン・ホーナイは、苛立ちからか、あるいは静かな挑発として、「あなたは自分が何を望んでいるのか自問したことがありますか?」と問うたという。問いはときに刃である。だがその刃は、時に心を切り開くためのメスにもなる。
精神療法の場で、私は何度もこうした問いの前に立ち尽くしてきた。そして、あまりにも長い沈黙の後、かすかな声で「わかりません……」と返される。だが、その「わからなさ」こそが、旅の出発点である。
ヴィクトール・フランクルは、人間の存在を「意味への意志」と定義した。私たちは、意味を問う存在であり、その意味が損なわれたとき、人生は耐え難いものになる。だが、意味とは与えられるものではない。それは掘り起こされるものであり、時には「他者の不在」によって初めて浮かび上がることもある。
たとえば、ある関係を断ち切る想像をロールプレイで試みるとき、クライエントは驚くべき感情の奔流に出会うことがある。悲しみ、怒り、安堵、あるいは、意外な高揚感。それらの感情が、抑圧されていた願望の輪郭を照らし出すことがある。人は、自分から奪われたときに初めて、自分がそれを望んでいたことに気づく。欲望は、剥奪の中に沈殿している。
アルベール・カミュの『転落』には、こういう一節がある。「信じてください、人間が放棄するのが最も難しいのは、結局のところ、自分が本当に望んでいないものなのです。」——この言葉は、私の内側で長く響いている。人は、望んでいないものにしがみつくことで、望むことから逃れようとするのかもしれない。皮肉のようで、しかし真理のようでもある。
セラピーにおいて、創造性が必要になる瞬間がある。従来の技法では届かない深み、硬直した防衛の層。そのとき、セラピストは芸術家に近づく。たとえば、視点の転換、あるいは「自己コンサルタント」という立場の導入——クライエントに、もう一人の自分として自分を眺めてもらう。それはあたかも、夢の中で自分を観察しているもう一人の「私」が登場するかのようである。
こうした試みが、奇跡を起こすわけではない。ただ、それがクライエントにとって「わずかに別の可能性」を開くことがある。少しだけ照明の角度が変わる。すると、同じ部屋がまるで違った表情を見せる。
心理療法の空間には、演劇的な側面がある。フロイトはそれを「舞台」と呼び、ヤスパースはそれを「啓示の場」と呼んだ。どちらにせよ、そこでは人間の内面が、ある種の物語性をもって立ち現れる。そして、物語の糸を手繰る作業は、患者とセラピストの共同作業である。
「遅かれ早かれ、私たちは皆、『より良い過去』を持つという目標を、諦めなければならないのかもしれませんね。」——この言葉には、優しさと哀しさが共存している。過去を修正することはできない。だが、過去に与える意味は、現在によって書き換えることができる。記憶は事実ではない。記憶とは、選択された物語の断片なのだ。
そして、セラピストの役割は、その物語を「書き直す」のではなく、語り直すことを助けることにある。それは再編集ではなく、再発見の作業だ。クライエントが自らの声を取り戻し、再びそれを語れるようになるとき、治療的変化は始まる。
たとえその声が、最初はかすかな囁きであっても。
参考文献:
- Karen Horney, Neurosis and Human Growth, 1950.
- Albert Camus, La Chute(『転落』), 1956.
- Viktor E. Frankl, Man’s Search for Meaning, 1946.
- Karl Jaspers, General Psychopathology, 1913.