道に迷ったとき、始まりの場所に立ち返る

道に迷ったとき、始まりの場所に立ち返る ~セラピーの行き詰まりを乗り越えるヒント~ 

セラピーについて考えるとき、私たちが決して見失ってはならない、大切な視点があります。それは、クライエントの方が、最初にセラピーの扉を叩いた理由、つまり、その方が抱えていた「最初の訴え」です。なぜなら、このセラピーという「旅の始まり」に立ち返ることが、特にセラピーが困難な局面や、いわゆる「行き詰まり」に直面した際に、状況を打開するための、非常に力強い手がかり、いわば「テコ」となりうるからです。 

人の心の内を探っていくプロセスは、時に、深い霧の中を手探りで進むようなものかもしれません。どちらへ進めばよいのか、道を見失ってしまうこともあります。セラピーという対話の道のりにおいても、話が前に進まなくなったり、どうしようもない壁に突き当たったように感じられたり、重苦しい沈黙が続いてしまったりすることがあります。これが「インパス」と呼ばれる状態、つまり「行き詰まり」です。どうしたら良いのか分からず、途方に暮れてしまうような感覚に陥ることもあるでしょう。 

そのような、どうしようもなく感じられる時、「そもそも、なぜ自分はこのセラピーという旅を始めたのだろうか」と、その原点を思い出すことが、思いがけない力を与えてくれることがあります。忘れかけていた道しるべを見つけるような感覚に近いかもしれません。最初にセラピーの扉を叩いた時の、あの切実な気持ち、なんとかしてこの苦しさから抜け出したいと願った、強い思い。そこに静かに立ち返ってみることで、まるで霧が少し晴れるように、今いる場所と、これから向かうべき方向性が、再び見えてくることがあるのではないでしょうか。 

これは、単に過去を振り返るということだけではありません。セラピーで行き詰まりを感じる時、それはある意味で、その「意味」を見失いかけている状態なのかもしれません。 

ここで非常に重要になるのが、これまでセラピストとクライエントの方が、時間をかけて丁寧に築き上げてきた信頼関係、すなわち「治療同盟」 です。一人で霧の中を歩むのではありません。隣には、共に歩むことを約束したパートナーがいます。その確かな信頼感を土台として、「今、ここで起きているこの難しさ、この行き詰まりには、どのような意味があるのでしょうか?」と、セラピストとクライエントが共に、協力して理解しようと試みることができるのです。対立したり、どちらかが一方的に責めたりするのではなく、目の前にある現実を、どう受け止め、理解していけばよいのかを、一緒に探求していく姿勢が大切になります。 

そして、ここがポイントなのですが、その行き詰まりや困難な状況を、単なる「問題」や「障害」として捉えるのではなく、「何かを学ぶための貴重な機会」として捉え直すこと、つまり「リフレーム」を試みるのです。この旅の始まりにあった「最初の訴え」、つまりクライエント自身の治療目標と、現在の困難な状況が、どのように繋がっているのかを、改めて丁寧に見つめ直します。例えば、「もっと自信を持って人と関われるようになりたい」と願ってセラピーを始めた方が、セラピストとの間でうまく言葉が出てこなかったり、気まずさを感じたりするとします。それは「失敗」なのではなく、「まさに、その課題に直面し、取り組んでいる最中」なのだ、と捉え直すことができるかもしれません。 

このように、出来事の意味合いを捉え直すことで、不思議と、がんじがらめになっていた抵抗感が和らぎ、心が少し軽くなることがあります。「そうか、これも学びのプロセスの一部なのだ」と受け止められると、再び、自分自身の心と向き合ってみよう、という意欲が、静かに湧き上がってくることがあります。それは、ささやかだけれども、確かな希望の光と言えるかもしれません。 

結局のところ、セラピーとは、クライエントの方がご自身の人生の物語を、ご自身の力でより良い方向へと書き換えていくプロセス、と言えるのかもしれません。最初に抱えていた苦しみや願いは、その物語の始まりを告げる大切な一節です。そして、旅の途中で出会う困難や行き詰まりは、物語に深みを与え、成長を促す、いわば必然的な展開なのかもしれません。そこにどのような意味を見出し、どのように乗り越えていくか。セラピストは、その物語の書き手であるクライエントの方にとって、最も熱心な読者であり、時に、そっと励まし、支える伴走者のような役割を担います。 

ですから、「最初の訴え」は、決して忘れてはならない、大切な道しるべなのです。それは、過去の苦しみを示すものであると同時に、未来への希望の種でもあります。セラピーの道のりで迷いを感じた時こそ、その始まりの場所に、静かに心を寄せてみる。そこから、また新たな一歩を踏み出すための力が、きっと見つかるのではないでしょうか。人生という長く、時に険しい道のりにおいて、それは、私たちにとって、ささやかだけれども、確かな希望の光となり得るのです。

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