**拡張ー形成理論(Broaden-and-Build Theory)**は、ポジティブ心理学の中心理論のひとつで、**バーバラ・フレドリクソン(Barbara Fredrickson)**によって提唱されました。これは、ポジティブ感情がもたらす心理的・行動的・社会的な長期的な効果を説明する理論です。
- 🔷 拡張ー形成理論(Broaden-and-Build Theory)とは?
- 🔷 簡単な図式
- 🔷 ネガティブ感情との対比
- 🔷 科学的根拠と研究例
- 🔷 実践への応用
- 🔷 まとめ:Broaden-and-Buildの本質
- 🔷 1. 感謝の練習(Gratitude Practice)
- 🔷 2. ポジティブ日記(Positive Journaling)
- 🔷 3. フロー体験の促進(Flow Experiences)
- 🔷 4. Loving-Kindness Meditation(慈悲の瞑想)
- 🔷 5. マインドフルネスの実践(Mindfulness Practice)
- 🔷 6. 意図的なポジティブ感情のスケジューリング
- 🔷 7. ポジティブ感情共有(Capitalization)
- 📝 まとめ:Broaden-and-Build理論に基づく介入の特徴
- ― Broaden-and-Build理論にもとづく8週間の構造化介入案 ―
- 📅 週間構成(全8回・1回50〜60分)
- 📌 補足:各回の進め方(臨床家向け)
- 🌱 このプログラムの特徴
- 📚 科学的根拠・参考文献
- 🌿 Broaden-and-Build理論に基づくポジティブ感情促進プログラム
🔷 拡張ー形成理論(Broaden-and-Build Theory)とは?
1. 【Broaden(拡張)】
ポジティブ感情(喜び、愛、感謝、好奇心、安堵など)は、一時的な快楽にとどまらず、人間の注意・認知・行動レパートリーを「拡張」させる作用があります。
例:
- 喜び → 創造的なアイディアが浮かぶ
- 興味 → 新しいことに挑戦したくなる
- 安心 → 他者に対して開かれた態度をとれる
これにより、通常よりも広い視野で物事を捉え、柔軟で革新的な思考ができるようになります。
2. 【Build(形成)】
そして、そのような拡張された行動や思考が個人の資源(resources)を「形成」する、というのがこの理論の核心です。
資源には次のようなものがあります:
資源の種類 | 具体例 |
---|---|
心理的資源 | レジリエンス(回復力)、楽観性、創造性、自尊心 |
社会的資源 | 信頼関係、親密な人間関係、社会的支援 |
知的資源 | 問題解決スキル、視点の柔軟性、学習意欲 |
身体的資源 | 健康状態、免疫機能の向上、ストレス耐性 |
🔷 簡単な図式
ポジティブ感情
↓
行動・認知の拡張(broaden)
↓
長期的資源の形成(build)
↓
適応力の向上・幸福の増進
🔷 ネガティブ感情との対比
感情の種類 | 心理的作用 | 例 |
---|---|---|
ネガティブ感情(恐怖・怒りなど) | 注意・行動を「狭める」→生存に必要な即時反応(戦う・逃げる)に集中させる | 危険回避、身の安全確保 |
ポジティブ感情(喜び・愛など) | 注意・行動を「拡張」→創造性・社会的つながりを促進 | 新しい関係、創造的解決策 |
🔷 科学的根拠と研究例
- Fredrickson & Joiner (2002):ポジティブ感情が思考の柔軟性を高め、より建設的な問題解決を促すことを示した。
- Fredrickson et al. (2000):ポジティブ感情を誘導した群では、視覚的注意の幅が広がる(global processing)ことが観察された。
- Resilienceとの関係:ポジティブ感情をよく感じる人は、ストレス後の回復(resilience)も高い傾向がある。
🔷 実践への応用
この理論は、以下の領域で広く応用されています:
領域 | 応用例 |
---|---|
臨床心理・精神医療 | 抑うつやPTSDの治療において、ポジティブ感情の回復を重視(例:感謝日記、慈悲の瞑想) |
教育 | 学習意欲・創造性を高める授業設計 |
組織心理学 | ポジティブな職場文化の構築による生産性・チームワーク向上 |
健康促進 | 感謝・喜び・共感を意図的に高めることで、ストレス対処力・免疫力の向上 |
🔷 まとめ:Broaden-and-Buildの本質
- ポジティブ感情は、単なる「気分の良さ」ではなく、個人の人生をより豊かに、より強靭にする根本的な力です。
- ネガティブ感情が「今、ここでの危機」に対処するのに対し、ポジティブ感情は「将来の資源」を築くための土台となります。
**拡張―形成理論(Broaden-and-Build Theory)**にもとづく具体的な介入法は、ポジティブ感情を意図的に高めることで、認知的・心理的・社会的な資源の構築を促すという実践に根差しています。以下に、科学的根拠のある代表的な介入法を紹介します。
🔷 1. 感謝の練習(Gratitude Practice)
● 方法:
- 毎晩、「その日に感謝できることを3つ」書き出す(例:「天気がよかった」「同僚が手伝ってくれた」「夕飯がおいしかった」)。
- 週に1回「感謝の手紙」を書く。誰かに感謝していることを具体的に書き、できれば直接伝える。
● 効果:
- ポジティブ感情、幸福感、睡眠の質が向上。
- 抑うつ・不安の軽減(Emmons & McCullough, 2003)。
🔷 2. ポジティブ日記(Positive Journaling)
● 方法:
- 毎日、良かったこと・楽しかったこと・笑ったことなどポジティブな出来事に焦点を当てて記録する。
- 「どうしてそれがうれしかったのか」「どんな意味があったか」も深掘りする。
● 効果:
- 日常の中のポジティブな側面への注意力が高まり、感情の幅が広がる。
- 抑うつ傾向のある人でもポジティブな気分が強化される(Fredrickson & Joiner, 2002)。
🔷 3. フロー体験の促進(Flow Experiences)
● 方法:
- 自分が没頭できる活動(スポーツ、音楽、読書、手仕事など)を特定し、日常に組み込む。
- 「スキルと挑戦のバランス」が取れたタスクを意識的に選ぶ。
● 効果:
- 活動中の自己意識の消失、集中、時間感覚の変容を通して、深い満足感や自己効力感が育まれる。
- ポジティブ感情が高まり、創造性やレジリエンスも向上(Csikszentmihalyi, 1990)。
🔷 4. Loving-Kindness Meditation(慈悲の瞑想)
● 方法:
- 自分自身に「幸せでありますように」と祈る。
- 大切な人→知人→中立な人→苦手な人へと、徐々に慈しみの念を広げていく。
- 15分程度から始めて習慣化。
● 効果:
- 愛情・共感・思いやりといった社会的ポジティブ感情の増加。
- 社会的つながり感が強まり、孤独や怒りの軽減にもつながる(Fredrickson et al., 2008)。
🔷 5. マインドフルネスの実践(Mindfulness Practice)
● 方法:
- 呼吸に意識を向ける、歩行瞑想、マインドフルイーティングなど、今ここに注意を向ける練習。
- ポジティブ感情に気づき、それを味わう時間をもつ。
● 効果:
- 感情の調整力が高まり、日常の中の小さな幸福をキャッチしやすくなる。
- 長期的な幸福感とウェルビーイングに貢献。
🔷 6. 意図的なポジティブ感情のスケジューリング
● 方法:
- 毎週「自分が楽しいと感じること」のリストを作り、それをスケジュールに入れる(例:自然散策、好きな音楽を聴く、友人とのお茶)。
- 小さな楽しみを日常に「意図的に」増やす。
● 効果:
- ストレスの緩和と回復力の向上。
- 「楽しみを感じる能力」そのものが鍛えられる(ポジティブ感情の回路の活性化)。
🔷 7. ポジティブ感情共有(Capitalization)
● 方法:
- 自分の良い出来事を、信頼できる相手に話す。
- その相手が「積極的・建設的に」反応してくれると、喜びが倍増する。
● 効果:
- 喜びの強化+社会的つながりの形成。
- カップルや友人関係の満足度が向上(Gable et al., 2004)。
📝 まとめ:Broaden-and-Build理論に基づく介入の特徴
特徴 | 内容 |
---|---|
💡 ポジティブ感情を「結果」ではなく「資源」として扱う | 感情そのものが行動の原動力・変容の契機となる |
🧠 認知の幅を広げる | 想像力・柔軟性・創造性が育つ |
🤝 社会的つながりを深める | 支援関係や親密さの基盤を築く |
🔁 長期的な資源を形成 | レジリエンス・自己効力感・幸福感が積み重なる |
以下に、うつ傾向のあるクライアント向けに「拡張―形成理論(Broaden-and-Build Theory)」を基盤とした具体的なプログラム設計をご提示します。
🌿 うつ傾向のあるクライアント向けポジティブ感情促進プログラム
― Broaden-and-Build理論にもとづく8週間の構造化介入案 ―
🔹 対象:
- 軽~中等度のうつ症状を持つ成人
- 認知行動療法や服薬と併用可
🔹 目標:
- ポジティブ感情の喚起
- 認知・行動の幅の回復
- 自尊感情、自己効力感、社会的つながりなどの資源形成
📅 週間構成(全8回・1回50〜60分)
週 | セッションテーマ | 内容 | ホームワーク例 |
---|---|---|---|
1 | 導入と自己観察 | 拡張―形成理論の紹介/ネガティブ感情の習慣化に気づく | 「気分日記」の記入(1日1回、ポジティブ・ネガティブ両方) |
2 | 感謝の練習 | 感謝が気分と人間関係に与える効果を体験 | 感謝日記(1日1つの感謝を書く) |
3 | ポジティブな出来事に注目する | 過小評価されたポジティブ体験に気づく練習 | 「その日のよかったこと3つ」記録 |
4 | フロー体験と没頭 | フロー概念の理解と、自分の中のフロー活動を探索 | 自分にとっての「熱中できること」リスト作成と実践 |
5 | Loving-Kindness瞑想(慈悲の瞑想) | 自己への優しさと他者への共感を育てる | 瞑想ガイド音源を使って週3回実践 |
6 | 社会的つながりの強化 | 支援関係・安心できる人との時間の価値を再確認 | ポジティブな会話(Capitalization)を1回試みる |
7 | 意図的なポジティブ活動の計画 | 「楽しみのスケジューリング」を行う | 翌週のスケジュールに小さな楽しみを3つ入れる |
8 | 振り返りとリソースの再確認 | 変化の振り返り/ポジティブ感情を育てる習慣の継続計画 | ポジティブ習慣リストを作成し、今後の継続策を話し合う |
📌 補足:各回の進め方(臨床家向け)
- 導入: 感情の評価尺度(例:PANAS)や簡易うつ尺度(PHQ-9)でベースラインを測定。
- 心理教育: Broaden-and-Build理論をイラストや例を交えてわかりやすく説明。
- 体験重視: セッション中に感謝を書き出したり、呼吸瞑想を一緒に行ったり、ワークシート記入を取り入れる。
- 反応とフィードバック: 各ホームワークで「やってどうだったか」を丁寧に共有。
🌱 このプログラムの特徴
特徴 | 内容 |
---|---|
🔄 感情の再学習 | ネガティブなバイアスに傾いた注意や認知を、ポジティブなものへ柔らかく拡張 |
🧠 認知の柔軟性回復 | 行動レパートリーや発想の幅を再構築し、うつ状態の固定化を防ぐ |
💬 他者との再接続 | 社会的孤立や自己嫌悪からの回復に向けた土台づくり |
🧭 自律性の支援 | 自分の価値観・興味にもとづいた選択を少しずつ再開させる |
📚 科学的根拠・参考文献
- Fredrickson, B. L. (2001). The role of positive emotions in positive psychology: The broaden-and-build theory of positive emotions. American Psychologist, 56(3), 218–226.
- Emmons, R. A., & McCullough, M. E. (2003). Counting blessings versus burdens: An experimental investigation of gratitude and subjective well-being in daily life. Journal of Personality and Social Psychology, 84(2), 377–389.
- Fredrickson, B. L., Cohn, M. A., et al. (2008). Open hearts build lives: Positive emotions, induced through loving-kindness meditation, build consequential personal resources. Journal of Personality and Social Psychology, 95(5), 1045–1062.
🌿 Broaden-and-Build理論に基づくポジティブ感情促進プログラム
医療者・臨床心理士向けファシリテーション・ガイド
🔸 プログラム概要
- 対象:軽〜中等度のうつ傾向を有する成人クライアント
- 回数:全8回(週1回/各回50〜60分)
- 目的:ポジティブ感情を喚起し、長期的な心理的資源(レジリエンス、社会的関係、自尊感情等)を形成する
- 理論背景:Barbara FredricksonのBroaden-and-Build Theory
🔹 各セッションの構造(毎回共通)
- アイスブレイク(5分)
- クライアントの気分を確認(例:「今の気分を色で表すと?」)
- 前回の振り返り(10分)
- ホームワークを行ってみてどうだったかを共有
- ポジティブな気づきを促す質問を行う
- 本日のテーマの導入と心理教育(10〜15分)
- シンプルなスライドやイラストで説明
- 実際の事例や体験談を交える
- ワークの実施(15〜20分)
- 書く、話す、動くなど、体験的な活動を中心に
- 必ず「今、何を感じているか」に注意を向ける
- 共有と統合(5〜10分)
- 今日の体験からの気づきを言語化
- 今後の日常への応用について話し合う
- ホームワークの説明と締めくくり(5分)
- 次週までに行う課題を確認
- 不安・障壁があれば事前に調整する
🔸 セッション別ファシリテーションポイント
第1回:導入と自己観察
- B&B理論の説明はシンプルに:ポジティブ感情は心を広げ、資源をつくる
- ネガティブ感情に偏っていることへの気づき
- 気分日記の記録方法を具体的に説明
第2回:感謝の練習
- 感謝のワークは「小さなこと」でよいと強調(例:天気が良かった)
- 感謝の手紙を書くことへの心理的抵抗に配慮し、無理強いしない
第3回:ポジティブな出来事に注目
- 見落とされがちな「小さな喜び」に光を当てる
- クライアント自身がその日何を感じたかに焦点をあてる
第4回:フロー体験
- フローの概念を日常的言葉で説明(例:時間を忘れる、没頭する)
- クライアントの過去のフロー経験を引き出す
第5回:慈悲の瞑想
- 瞑想のハードルを下げる:形式にこだわらず、感情を込めて言葉をかけるだけでもよい
- 音声ガイドの使用を推奨
第6回:社会的つながりの強化
- ポジティブな出来事を他者に話すワーク(Capitalization)を実施
- 相手の反応より「話すこと自体」が目的であると伝える
第7回:楽しみのスケジューリング
- 喜びを予定に組み込むことの重要性を説明(自分を大切にする行為として)
- 過去に楽しかったことを思い出して再設定
第8回:統合と今後の計画
- 全体を振り返り、得た資源(気づき、人との関係、自己理解など)を言語化
- 継続的に実施したい習慣をリスト化する
📌 注意点・臨床的配慮
- クライアントの調子に応じてセッションの柔軟な変更を許容する
- 「無理にポジティブにさせる」印象を与えないよう注意
- セッションごとに感情反応をチェックし、必要に応じてクライシス対応も視野に
📚 推奨文献
- Fredrickson, B. (2001). The role of positive emotions in positive psychology.
- Emmons, R. & McCullough, M. (2003). Counting blessings versus burdens.
- 諸富祥彦 (編) (2013). ポジティブ心理学入門(誠信書房)